折れた煙草の吸殻で
さて、今日もnoteをやるかとなって、ネタが思いつかず頭の後ろで手を組み、斜め上を見上げる。
いま、一節打ち終わったところで、気付けば同じ動作を繰り返している。
完全に、無意識の行動だ。
手の動きは言葉よりも雄弁に、その人の内面を物語っていると言われる。
相手との会話の内容よりもはるかに、その人の心理状態が的確に現れるそうだ。
僕なんぞ誰かに講釈垂れるほど立派な人間のはずもないが、現役の頃は立場上、新人研修や社員教育というのをやっていた。
僕以外の社員が自分の仕事に手いっぱいで、ヒマな奴にお鉢が回ってきたに過ぎなかったが。
それらしいこと喋って時間を持たせるにはネタが必要で、ブックオフの100円コーナーや図書館など通っては、いろいろハウツー本を仕入れてきた。
この手の本は新しかろうと古かろうと内容に大差なく、新刊を買おうなんて気にならなかったからだ。
何気ない人間の仕草に潜む心理を分析するものも、その中に含まれていた。
内容がハウツーであろうと、ネットで手軽に入る情報よりは、書籍の方がはるかに身に付く。
連なる文章から筆者の意識の流れを、明確に辿ることができるからだ。
単なるネット「情報」では得られない他者の「経験」を追体験することで、認識とは深まるものなのかもしれない。
おっといけねぇ、また得意のわき道に逸れちまうとこだったぜ。
しかしこういう取るに足らない文章だって、曲がりなりにも「意識の流れ」はある。
文章っていうのは無駄も含め、執筆者の思考の過程を「経験」できるのが、いいところじゃなかろうか。
話しを戻せば、たとえば鼻を触る仕草というのは、嘘をついているときが多いと言われる。
表情から嘘のバレる可能性を感じて、顔を隠したいという心理が無意識に働くためだ。
その際、顔全体を手で覆ってしまうのはあまりに不自然なため、中心にある鼻だけでも隠したくなるのが、心の動きなんだそうだ。
嘘を吐くわけでないが、「何かを隠そうとしている」人は眉毛を触る。
眉毛は目や口と同様に、喜怒哀楽が出やすいパーツだからだ。
眉毛を触って隠す仕草は、本心を探られたくない深層心理の表れと言える。
腕を組むのは警戒しているサインで、まだ受け入れられない相手に対して、自己防衛が働いている状態だという。
腕を組んだ状態にあるうちは、相手を警戒し距離を置きたいと考えている。自分を守るため、少しでも安心感が欲しいという心理から、無意識に腕を組んでいるんだとか。
これなんか、気付けば僕はいつでもやっている。相手のいない一人の時だって腕は組むから、この説明だけでは説得力がない。
「腕組み」をすることで自分の存在を誇示し、相手からすごい人だと思われたい。これならありそうだ。
例えば上司が部下に対し、「腕組み」しながら説教をする。あるいは過去の武勇伝を語るなど、自分の優位性をアピールする際に有効な手段となる。
気になる異性にいいところを見せたいという気持ちから、「腕組み」をする男性も多いとか。
ま、それもありだな。
仕事の段取りを考えたり、何かいい方法はないか頭を働かせていたりするとき、腕を組む。
周囲との接触をシャットダウンし、自分の殻に閉じこもることで、集中して物事を考えている状態だ。僕の場合、大方はこれだろうな。
同じ仕草でも、状況に応じて意味は幾つにも変化するわけか。
腕を組む位置によっても、異なる心理状態が読み取れるらしい。
腹周りに近い低い位置で腕をクロスさせていたら、考え事に集中している可能性が高い。
重要な決断を迫られているときや、アイデアを考えているときによく見られる仕草となる。
逆に、高い位置で腕を組むのは、人から良く見られたい・優位に立ちたいというサインだ。胸のあたりで腕を組み、肩をいからせ威圧感を与える。
確かにそういう奴、いたよなぁ。
ご大層な「正論」ばっか言うんだけど、いつだって行動が伴わないんだ。キミは評論家じゃなくて、当時者なんだぞって、つい言いたくなるタイプ。
いつも椅子に背を持たせかけ、腕を組んでる印象ばかりが残っている。
いま目の前にいる相手の心の状態を予測したり、心理に働きかけて行動を促す際に役立つ学問を、「行動心理学」という。
過去に何冊か読んでみてなるほどなぁと思うものが多かったが、実践に活かせぬまま終わってしまった気がする。
改めて、いまのプロジェクトで試せるものはないだろうか。頭の後ろに手を組み、斜め上を見上げながら思案してみた。
あれ?
このやたら繰り返される仕草が意味するところは、一体なんだろう。
(次回に続く、多分)
イラスト Atelier hanami@はなのす