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自分の感情に気づけない人

Fクンに尋ねる。
「これまで食べたもので、もう1回食べたい!って思うものある?」
「うーん、…わかんない… じゃなくて… 特に… ない、ですね…」

「じゃあさ、これまで生きてきた中で、楽しかったぁ!っていう思い出はある?」
「いや… 特に… ないかな…」

9時30分に始めたディスカッションは、気付けば13時近くになっていた。それぞれ次の予定もあることだし、今回はここでお開きとなった。
終了した後もFクンは、なかなか帰ろうとしない。僕の感じでは「帰りなさい」と言われないから留まっているんじゃなく、この場が彼にとって心地いいから去りがたいといった風情ふぜいに見える。そうであれば相談者側の心情と、相当な開きがあることになる。

僕のような、ある意味ドライなスタンスと異なり、なんとかFクンを就労させたいと一生懸命な2人からすれば、暖簾のれんに腕押し状態なFクンの態度に、ほとほと消耗したはずだ。
ところがご当人は、彼らの心の機微きびなどどこ吹く風で、一種尋問じんもんめいたやり取りに全く不快や緊張を感じていないようなのである。

相談員の宿題で書いてきた文章を見ると、多少の字の巧拙こうせつはあるものの、面と向かって話すときよりよほど「自分」が現れている。
「~しようと思います」「~して頑張っていきたいです」などと意欲の表れととれる末尾が多用されているが、これは本心というより、外面そとづらを整えているだけな気もする。

厚生労働省宛てに記したアンケートの回答を、三つ折りにして封緘ふうかんする必要が生じた。
するとFクン、それこそきっちり三つに折らなければ気が済まない様子で、何度もそのポイントを探るべく、テストを繰り返す。
何も基準がないところで1辺を3等分にするのは至難の業だが、折りきった時には、かなり正確な型になっていた。
何もこだわりがないようで、執拗しつように正確さを追求したがる側面も垣間見えるのだ。

ここからは僕の、勝手な憶測になる。
Fクンがいわゆる「普通」じゃないのは間違いないとして、その症状に「肩書」をつけるとしたら、何になるだろう。
専門家じゃないからコレと特定できるものは全くないが、これまでのやり取りからFクンには、心が動くといった現象がほとんど見られない。
喜怒哀楽きどあいらく、Fクンはいずれにも感情が向かわない風なのだ。
過去の物事や僕たちの会話において共感が見られないのは、彼の内面に先天的な疾患があるからかもしれない、そう思った。
そこでこの日のセッションの後半は、該当する症例が何かないかと、スマホで検索しながら会話を続けた。

すると世の中に、失感情症(アレキシサイミア)という性格特性があるのを知る。

失感情症の概念は研究者の間で検討されて、以下の特徴としてまとめられました。

1.自分の感情がどのようなものであるか言葉で表したり、情動が喚起されたことによってもたらされる感情と身体の感覚とを区別したりすることが困難である。
2.感情を他人に言葉で示すことが困難である。
3.貧弱な空想力から証明されるように、想像力が制限されている。
4.(自己の内面よりも)刺激に結びついた外的な事実へ関心が向かう認知スタイル。

こうした特徴に関して、興味深いことに最近の脳科学研究から、自分の内的な感情に気づき・表すことと、自分とは一端離れた視点(他人の視点に立つ)を持つこと=自分を客体化できることとが、実は密接に関係していることがわかってきました。
感情の気づきの問題は共感性、また想像力・空想力などとも大いに関連しているのです。自分の感情の微妙な変化に気づき言葉に出来ることは、彩り豊かな精神生活を送りスムーズな対人関係を築くことにもつながっていると言うわけです。
このように「失感情症」を理解することは、こころとからだの関係だけでなく、自分と他人との関係のあり方を理解する上でも欠かせないキーワードになって来ています。

厚生労働省 e-ヘルスネット
小牧 元 元 独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 心身医学研究部 

失感情症はつらい状況になったとしても感情を表に出せないため、周りの人からは我慢強い人・喜怒哀楽を出さない人と見られる傾向があるそうだ。
自分で自分の感情を認知できないため、内面と実際の行動にズレが生じ、相手に悪いイメージを与える場合がある。

たとえば、何か悲しい出来事が生じたときでも悲しいという感情になれないため、取るべき行動がわからない。
その場にいる全員が悲しい気持ちになっているにもかかわらず、自分だけがいつもと変わらないため、空気を読めない人と思われやすい。
自分の気持ちがわからないのだから他人ひとの気持ちを考えられるはずもなく、対人関係を築くことが困難になってしまう。

だからと言って感情がないわけでなく、自分の感情に気づきにくいだけなので、そのストレスは身体に現れる事になる。
Fクンが朝起きられないのは規則正しい生活が送れていないからだと本人も周りも思っているが、心的反応から何をせずとも疲れやすく、「寝坊」というより、起き上がることができないだけの可能性だってありそうだ。

Fクンの場合、後天的でなく生得的せいとくてき要因(遺伝的に生まれ持った要因)かも知れない。いずれにしろ失感情症の原因がはっきりと解明されているわけではなく、確かなことは何もわからない。

しかし、生得的せいとくてき要因を持っていたからといってまったく感情を表せないわけではなく、もともと遺伝的な要素のある人がさらにストレスを抱え込んでしまい、失感情症を引き起こしている複合的なケースもあるそうだ。
まさに弱り目にたたり目、泣きっつらに蜂である。

もしもFクンが失感情症であるなら、カウンセリングは有効な対処法らしい。期せずして僕たちがやっていたことは、これに該当しているのかもしれない。
対話を繰り返す中で必要なこと・何をすべきかなど、考えるきっかけになる場合もあるという。

ただし、あくまで当てはまる項目が多いというだけで、失感情症であると断定する気はない。まずは肉親の方が専門家に相談されて、Fクンに最適な対処法を探られるのを願っている。

今すべきことは就労支援しゅうろうしえんじゃないかもよと、担当の彼女にだけは伝えておいた。
僕は僕なりに、Fクンの様子を見ていこうと思っている。

Atelier hanami@はなのす

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