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さよなら 昨日の人たち
「安保闘争で挫折した青年の孤独」をテーマにした曲がある。
ズー・ニー・ブー『ひとりの悲しみ』という曲だ。
もしも知らない人が聴いたら、ビックリするに違いない。曲もアレンジも、あの有名曲そのままだからだ。
当時、エアコンのCMソングを依頼された筒美さん。候補曲として何曲か書き上げたなかの1つが、後に『また逢う日まで』となる曲だったのです。イントロとサビが印象的なのは、CM用に書かれたからでした。
『アンパンマン』の生みの親で、作詞家でもあるマンガ家のやなせたかしさんが詞を付けて完成しましたが、スポンサーの意向が変わり、この曲はお蔵入りとなってしまいました。
しかし、いい作品には必ず“拾う神”がいます。「せっかくいい曲なのに、もったいないな……」と考えたのが、この曲を管理していた音楽出版社・日音のプロデューサー・村上司さんでした。
日本の音楽出版ビジネスの先駆けでもある村上さんは、当時、レコード会社の枠を超えて活躍するフリーの作詞家・作曲家たちと付き合いがあり、筒美さんが書いたCM曲を阿久さんに渡しました。
「阿久さん、この曲に新しい詞を付けて、世に出してやってくれませんか?」
こうして筒美さんが書いたCMソングは、阿久さんの手によってまったく違うポピュラーソングに再生。完成したのがこの曲です。
1970年、ズー・ニー・ヴーというグループによってリリースされた『ひとりの悲しみ』。村上さんも阿久さんも筒美さんもヒットを期待していましたが、なぜかセールスは伸びず、またしてもこの曲は埋もれてしまったのです。
名曲『また逢う日まで』は、尾崎紀世彦のために書かれた曲ではなかった
阿久悠(作詞)・筒美京平(作曲)という黄金コンビが手掛け、歌唱力抜群の町田義人がボーカルを受け持ったこの曲が売れなかった理由は、一体なんだったろう。
「安保闘争で挫折した青年の孤独」を表現するには、楽曲があまりにも立派すぎたからではないか。
自らの傷を舐める治癒行為ではなく、自身の思想や行動、心の状態などを客観的に振り返り見つめ直す、内省的なニュアンスが強かったためと想像される。
この歌詞が刺さる聴き手に、圧倒的に不足したということだろう。
実際、阿久悠が歌詞を変え尾崎紀世彦が歌った『また逢う日まで』はオリコンシングルチャートで1位を獲得。累計で100万枚突破の大ヒット曲となる。
『また逢う日まで』は男女の別れの瞬間を歌っているが、互いが成長し再び出会えるはずの、明日への希望に満ちている。それが高度経済成長期の日本の姿に、ピタリと合っていたのだろう。
学生運動の敗者は叱咤激励を好まず、過去を振り返り反省する気力など持たない。
精一杯やったんだけど、時代が変わっちゃったんだよねー。所詮個人の力なんて限界があるしさー。と、思ったかどうかは知らないが、過去の自分を慰撫し、甘美な敗北感の味わえる歌が好まれた。
バンバン『いちご白書をもう一度』、ガロ『学生街の喫茶店』、井上陽水『傘がない』などはその典型だろう。
遠藤賢司『カレーライス』では、現実社会との乖離の描写が凄まじい。まぁこの名曲は、ヒットなどとはまるで無縁の音楽だが。
恋人が台所でカレーライスを作っている。
自分は出来上がりを待つ間、ギターを弾いたり寝転んでテレビを見たりしている。
彼女と猫との静かな同棲生活。
ニュースでは三島事件が報じられているが、「誰かがお腹を切っちゃって うーんとっても痛いだろうにねぇ」くらいの他人事な感想しか持てない。
三島が自衛隊の在り方に絶望し割腹したその時、若者たちの「連帯」もまた断ち切られたのだ。
あらためて聴くと、やっぱスゲェな遠藤賢司。この「過激な日常」描写が、今となっては当たり前の日常になってしまっていることの空恐ろしさ。
話しを戻す。
学生運動敗者の傷ナメナメ代表といえば、やはり森田童子ではなかったか。
「森田童子が登場したのは全共闘運動が挫折して、少し経った頃。彼女の歌はその全共闘世代の心情、挫折感に寄り添うものでした。たとえば、仲間がパクられた日曜の朝、といったことを歌ったり、高橋和巳の『孤立無援の思想』から来ている『孤立無援の唄』、爆弾教本の『球根栽培法』から来る『球根栽培の唄』といった歌があったり。彼女自身は全共闘世代より少し若くて、運動のピークの頃はまだ高校1~2年でしたが、東京教育大(現筑波大学の前身)の紛争に関わっていたという話もあった。どこかのセクトに入ってるとか、高校全共闘みたいなかたちでやっていたというのはないとは思うけれど、その文化や気分はすごく色濃く共有しているアーティストでしたね」
全共闘世代の心情を代弁し、支持を集めているミュージシャンはたくさんもいたが、森田がほかの誰とも違っていたのは、彼女の歌が"弱さ"に光をあてていたことだった。
「森田さんのライブって客が泣くんですよ。死んでいってしまった友人を歌にした『さよなら ぼくのともだち』って歌で、泣き出す人も出てくる。歌っている森田さんも歌いながら涙をぬぐう。全共闘世代って、強がったり過激ぶったりするのが習性で、自分の弱さをさらけだせない人が多かったんですが、森田童子の歌を聴いていると、その弱さを隠さなくてもいい気がしてくる。たとえば(映画監督の)高橋伴明さんは早稲田大学の学生運動出身で、すごい武闘派だったんですが、森田童子が好きだと言っていました。そういう人でも森田さんの歌に感動するんです」
ここに戦後”文化人”の限界と、言ってしまえば「病巣」とでも呼ぶべきものがあるのではないか。
彼らは自らを省みて日本の明日を拓こうとするのではなく、昨日の自分に籠り、敗北の余韻に浸ることの方を選んだのだ。
イラスト Atelier hanami@はなのす