なんか撮りたい
そういえば最近、動画撮ってないよなぁ。今年は夏前から違う案件に集中していたし、写真を取る必要からカメラを手にすることはあっても、動画編集したいとまで思わなくなっていた。
だいたい、撮影自体があんまり好きじゃない。カメラ本体のセッティングもそうだし、ジンバル(動画を撮影する際に手ブレを補正する機材)の調整やら照明の配置やらマイクの確認やら、全て自分でやらなくちゃならないし、根がガサツだから必ず見落としが生じる。
そんなモンが曲がりなりに商売にしていていいのか分らんが、撮ってきた素材(動画)を調理する(編集する)方は楽しい。
編集にもそれなりに覚えなければならないテクニックはあるが、基本的にはイマジネーションの世界である。文章を綴っていくうち自分で思いもしなかった展開が生まれるように、素材(動画)を調理していく中で使用する味付(カットやエフェクト、アニメーション)で、毎度の献立を整えていく。
同じ料理を同じ食材、同じ手順で繰り返すだけなら飽きてくるが、ちょっと一工夫することで、常に新鮮味は生まれるものだ。
過去にまとめた映像は、初期になるほど拙さを感じるものだが、その時々でコイツなりに一生懸命やってるよなぁと思うもんだからなかなか消せずにいる。他者を記録しているようで、過去動画は自分にとって日記のようなものだ。
動画編集では、最初に商業利用可能なフリーの音楽を、ネットから探す。タダで楽曲を提供される人がこんなにもいるのかと、呆れるほどに夥しい量だ。
いろいろなサイトを試したが、今は特殊なケースを除きDOVA-SYNDROMEから拝借している。
海外のものはそのとき無料でも、後から有料に変わっていたり、急に使用できなくなったりの実体験を経て、全く使わなくなった。無料にしてはオシャレなサウンドも少なくないが、それが却ってどんくさい僕の感覚に合わないのも、理由の一つだ。
その日撮影した素材から浮かぶ曲調やテンポ、使われている楽器などから曲を選択する。
使用する曲で動画のイメージが決定してしまうため、曲選びはとても大事な工程のはずだ。
その割に僕の場合、シビアに検討したりはしない。何曲も選んでその中から決めるなんてこともせず、あ、これだと思ったら即採用する。
音楽は動画のイメージを決定づける一方で、決して主役にはならない。むしろ見る側の意識下に働きかける作用の方に、効果を上げるツールなのだ。
YouTubeにアップするとなると、著作権がやたらとうるさい。
最初の頃、練習で撮った動画にレスター・ヤングの『These Foolish Things』を使ったら警告がきた。シューリヒトが指揮するベートーヴェンの7番を使用した時も同様だ。
レスターに著作権料が支払われるなら文句はないが、国家からさんざん人生を搾取されたうえ早死にしたこの人に、びた一文入るはずもない。それじゃあそのゼニ、誰の懐に行くのか考えると腹立たしくなる。
こうした人類の遺産は様々な場所や人々によって、機会あるつど使われ聴き継がれていくのが真っ当じゃねぇかと、青臭い事を考えたりもするのだった。
しかしそうなると、稚拙な自分の映像に超一流の音楽(間違いなくそういう音楽しか選ばなくなる)ばかり流れることになり、それはそれでミュージシャンに対する冒涜になるかもしれんて。
そうであるなら好きに使っていいよの楽曲を、ありがたく拝借した方が無難というものだ。それにDOVA-SYNDROMEには、いい曲だっていっぱいあることだし。
お出かけする時間になってしまった。例によって本題前の枕の部分も終わっていないが、ひとまず次回に続く。
Atelier hanami@はなのす