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無意識のソナタ

映画「笑いの大学」において、登場人物の言葉を通して語られる喜劇論を「面白い」と評した。
では、そこで僕が感じた「面白さ」とは何か。ふと考えてみると、けっこう土壺どつぼはまる問いかけだったりする。「面白い」か「面白くない」かは人生の質を左右する、最も大事な要素でなかろうか。

前提としてそこには、選択の自由が必要となる。いかに面白くなかろうと、従わなければ死あるのみという状況下にあっては、選ぶ権利も自由もない。
隣の超大国による異民族を使った強制労働は、今も続けられている。囚われた人々は、ただ生きていくために強要された作業をこなしていくのみだ。想像するだに怖ろしい。
「面白さ」を堪能できる国に生まれたありがたさを当たり前とはせず、未来永劫続けていく意思を持たなければならない。僕たち日本人に理解不能な悪意に満ちた国というのが、周辺に一つと言わず、複数存在しているのだ。

僕の場合、「面白い」とは受け身であることが多い。動画の編集に面白みを感じたりはするが、面白い小説を読んでも自分で書こうとはしないし、音楽が面白いからと自分で楽器をやろうとは思わない。
それでも、与えられたものをただ「面白い」「面白くない」で分けてしまっているうちは、ややもすると評論家的立場にとどまっているのではないかと危惧きぐを抱く。それって、なんかエラそうで好きくない。

一方で表現者の側からは、鑑賞する側に「面白い」と思わせる仕掛けが、意識するにしろ無意識にしろ要求されるはずだ。

たとえば僕の場合、動画を編集するときまず決めるのは音楽になる。撮ってきた素材をまとめる際、全体の印象を決めるのは音楽だからだ。
著作権上使用は出来ないが、同じマイルス・デイヴィスでも『My Funny Valentine』にするか『Black Satin』にするかで、同じ動画の印象はがらりと変わる。当たり前っちゃ当たり前だが。
ということは、少なくとも選曲する段階では、どういうイメージを受け手に与えたいかが自分の中で決まっているわけだ。

1つの素材を、1クリップと数える。これを編集ソフトのタイムラインというスペースに、頭の中で順序を組み立てながら挿入していく。クリップは、先に挿入した音楽のリズムや拍に合わせ変える。ここが合っていないと、かなりちぐはぐな仕上がりになってしまうためだ。

出来るだけ多くの人に見てもらいたいとは思うから、それほど意識していないようで、1本の動画の中に起承転結を組み立てる。
A地点から歩き始め、B地点でゴールして終わりという単純なストーリーであっても、それを時系列に並べただけでは人の目をひく映像にならない。
そういう時、ふだん聴いている音楽が(僕の場合)知識としてでなく、経験の中で生かされてくる。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章をたとえにすれば、落ち着いた雰囲気のAに始まり、やがて激しくなってBに到達し、最後は安らかなAの音楽が戻ってくる。これによって、「一時はどうなるかと思ったけれど無事に戻って来られて安心した」といった心の動きを、聴き手に与えることができる。
同じ作曲家のヴァイオリン協奏曲で、ソリストが即興演奏をする場面でも、同じ形式がめ込まれているようだ。

添付した動画には、ピアニストによる繊細な解釈と具体的な技法が非常にわかりやすく解説されていて、とても勉強になる。
三部形式という、クラシック音楽ではシンプルなスタイルの中にもどれほどの物語が詰め込まれているか、ピアノを弾かない僕のような人間にもよく伝わる。
これなど、ただ受け身に聴いて「面白い」「面白くない」を論じているだけでは、なかなか踏み込めない領域だろう。

普段から馴染んだ音楽の感覚は、知らず知らずのうちに動画の編集作業にも影響を与える。

三部形式の発展形に、かの有名な「ソナタ形式」がある。
最初の提示部でテーマ(主題)となるメロディが示され、ここに対比される性格を持つ2つのテーマが現れる。
それぞれを第1主題、第2主題と呼び、たいがいは力強い前者に対し、後者は優し気な響きとなる。

これら主題が中間部となる展開部において、対立したり絡み合ったりしながら、まるで新しい音楽にでもなってしまったかのように発展していく。

この複雑に絡み合った人間関係のような展開部を経たあと、最初に提示された主題が、「では本題に戻りましょう」といった具合に再現される。
この再現部で再び主題に出会えると、すでに一度面識ある聴き手は安心するという仕掛けだ。
逆に言えば戻ってくるからこそ、展開部ではどんなに実験的なことをしても許されることになる。

音楽形式を学ぶ! SEVEN&EIGHT MUSIC(7&8ミュージック)

このソナタ形式も、後期ロマン派辺りになると作曲家がぐちゃぐちゃに分裂した曲を提示するようになり、最後が現代音楽と呼ばれる「わけわかめ」な混沌に発展(後退?)する。個人的には嫌いじゃないが。
けっきょく今も多くの聴衆が好んで聴くのは、かろうじてでもソナタ形式が存命だった時代までの音楽である。マーラーしかり、ショスタコーヴィチしかり。

ソナタ形式とは、冒頭で先に結論を提示してしまい、さまざまな心の葛藤や安らぎの中を右往左往しながら、「いろいろ考えたんだけど、やっぱ結論は最初に言ったことなんだよね」で締める音楽だ。

受け手にとってはこのパターンが安心できて、「面白い」と感じられる仕組みということになる。
不肖ふしょう僕のように箸にも棒にもかからない動画作成者にとっても、この形式を意識しないまま真似ているという事実が、じつに「面白い」。
(次回に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす

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