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白きユキ
妻を亡くしてそれなりの時が経過し、多少気持ちの整理もついてきそうな頃、義父は独りでいる事の寂しさが身に沁みてきたらしい。ユキとまた暮らしたいと申し出があった。
僕の妻は憤慨した。
お父さんは勝手すぎる。その時その時の感情でみんなを振り回すのはおかしい。自分たちはユキを家族の一員だと思っているし、ユキだって、人の都合だけで何度も環境を変えてしまうのはかわいそうすぎると。
実の父親だけに当たりもきついが、言っていることはごもっともだ。
子供たちも、このままユキに残ってほしいと訴える。
僕だって、出来る事ならそうしたい。どうしてもというなら、義父がどこかから新たにペットを迎え入れることだって可能なはずだ。そうも思った。
でもね。長く共に暮らした伴侶の忘れ形見は、他のネコで代用できるもんじゃないんだろう。
今のお義父さんは一人ぼっち。我々はユキがいなくなっても4人家族じゃないか。ユキにしても、知らないところに移るわけじゃない。産まれ育った実家に”帰る”だけだし、会いたければ車で片道2時間とかからない距離なんだから。
自らの感情は別のところに置きながら、皆をそう説得した。
今度は僕の運転で、ユキを義父の元に届ける。義母の仏壇に線香を1本あげ、長居はせずに帰路に就いた。
帰宅すると、ユキの白い毛がまだあちこちに残っている。昨日まで鬱陶しかったはずの同じものに、今は名残惜しさを感じていた。心の裡にちょっぴり、小さな穴が空いた気がする。
わずか半年あまりで、ユキとの生活は終わりを告げたのだった。
それから何度も、妻の実家に顔を出した。
義父はそのつど歓迎してくれるが、ユキの姿はなかなか見かけない。日中は近所を散策しているらしく、たまに帰ってきて僕の前を通り過ぎても、まるで会ったことのない人間のようによそよそしい。
忘れてしまったのか。ネコはネコなり勝手な人間に腹を立て、あえて無視を決め込んだものだろうか。
それもまた、彼女らしい。義父とふたり静かな生活は、それから何年も続いた。
晩年のユキは衰え、あまり外出もしなくなっていたようだ。
ある日義父から電話があり、「今日、ユキちゃんが亡くなりました」と告げられた。
妻や子供たちは学校の関係で、すぐには動けない。荼毘に付される前にお別れをしようと、ひとり車で大磯に向かった。
ユキの亡骸は四肢を伸ばし、硬直していた。安らかとも苦悶とも言い難い、少しきつめの印象で目が閉じられている。家で亡くなったのだから、大往生と言っていいだろう。
動かぬユキを見ながら「生き切ったね」と、声には出さず語り掛ける。
総じてユキは幸せな一生を送ったろうし、周囲の人も幸福にしてくれた。
義父と義母の生きがいとなり、ご近所の人たちをただ佇むだけで和ませ、僕たち家族の生活の一時期を豊かに彩ってくれた。
「ごくろうさまでした」
自分でも意外なほど穏やかな気持ちで、最後の挨拶を済ませる。
義父にいとまを告げ、車に戻るとエンジンをかけた。
たまたまその時カーオーディオに入っていた音楽は、サム・クックの『ミスター・ソウル』だった。スタンダードばかりを集めたアルバムの1曲目、『アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ』が流れ出す。
予期せず発作的に、嗚咽が始まった。突然こみ上げてきた衝動に自分で驚き、慌てて車を縁石に寄せる。
サム・クックだったからなのか。
おそらくそれが違う誰かであっても、僕の感情のスイッチを入れる装置として果たす役割は、一緒だったに違いない。
ハザードをつけたたまま、心ゆくまで号泣する。辺りが人通りの少ない、街灯もまばらな暗がりだったのはありがたい。
落ち着きを取り戻し再度ハンドルを握ってからは、感情が波立つことは二度となかった。
もう自分は生き物を飼えないな。その時、そう思った。
あれから20年近く経つ。
こうしてユキを思い出していると、かすかに彼女の気配を感じる。
もう心配させられることも、悪さに悩まされることもない。
ほんのときどき、気紛れでいいから心の片隅に戻ってきてくれれば、それでいい。
イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子