見出し画像

男がいて女がいて 生きていけるの

「LGBT理解増進法」とは何か。内閣府ホームページにはこうある。

性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律

 性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策の推進に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の役割等を明らかにするとともに、基本計画の策定その他の必要な事項を定めることにより、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性を受け入れる精神を涵養(かんよう)し、もって性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資することを目的としています。

曲がりなりにも最高決定機関である国が明示する一文だが、これだけ読んでなるほどと得心のいく国民が、どれほどいるだろうか。
「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性」なんじゃそりゃ?

第二条 この法律において「性的指向」とは、恋愛感情又は性的感情の対象となる性別についての指向をいう。
2 この法律において「ジェンダーアイデンティティ」とは、自己の属する性別についての認識に関するその同一性の有無又は程度に係る意識をいう。

法律第六十八号
性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律

聞き慣れないカタカナ英語が使われるとき、それは従来の日本にはない他国から持ち込まれた概念と捉えるべきだろう。それを言うならLGBT自体、すべて外来語の頭文字になる。

“L”=レズビアン(女性同性愛者)、“G”=ゲイ(男性同性愛者)、“B”=バイセクシュアル(両性愛者)、“T”=トランスジェンダー(生まれた時に割り当てられた性別にとらわれない性別のあり方を持つ人)など、性的少数者の総称です。

大阪市北区役所 「LGBT」をご存知ですか?

ではなぜ、こうした「性的指向」の方たちを我々が理解しなければならないのか。それは以下の理由にる。

社会的には、「人は出生時に割り当てられた性別らしく生きて、男性は女性を、女性は男性を愛するのが普通であり、それ以外は異常でおかしい」といった固定観念や先入観を持ち、LGBT当事者に対し、偏見や差別を持つ人が少なくありません。

LGBT当事者は、常に、そうした周囲からの偏見や差別的言動にさらされ、傷つき悩んでいます。また、自らがLGBTであることを明かし理解してもらいたいと切に思っている場合でも、周囲からの偏見や差別的言動におびえ、だれにも悩みを打ち明けることができず苦しんでおられるケースが多々あります。

また、恋愛・性愛の対象が異性以外の人に向かう人やいずれにも向かわない人への理解は一層不足しています。性的指向は本人の意思で簡単に変えたり選んだりできないにもかかわらず、特別視し、差別的な取扱いをする事例などが後を絶ちません。本人が解決をあきらめてしまうといったケースや、精神的に不安定になるというケースもあります。

LGBTなどの性的少数者に対する理解を深め、偏見や差別意識をなくし、すべての市民が、多様な個性を尊重し合い、豊かで安心して生活できる社会の実現をめざしましょう。

大阪市北区役所 「LGBT」をご存知ですか?

「固定観念や先入観を持ち」「偏見や差別を持つ人が少なくありません(日本語としておかしい。ここで使うなら”差別意識”)」とは、LGBTに限った話なのか。
「性的指向は本人の意思で簡単に変えたり選んだりできないにもかかわらず」。だから何だというのか。

そもそも人間は、生まれる場所も時代も、知的・身体的能力も、自ら選ぶことは出来ない。「親ガチャ」なんてイヤな響きの単語が定着しているように、自分の出生を不運と嘆いて暮らすか、宿命・天命と捉え精一杯生きようとするか。
そのとき万人ばんじん全てに共通するのは、心の持ちようという一点しかない。
なぜそうした個人の内面の問題に、国家権力が介入してくるのか。

「T」のトランスジェンダーは、生まれついての性質とされるから分けて考える必要がある。
それ以外は、「男に発情する男」も、「女に発情する女」も、「男にも女にも発情する男・または女」も、指向性というよりも本人の「嗜好性」によるものだ。「嗜好性」を言い出すなら、たとえば「自分の妻にしか発情しない夫」も「好みが合えば誰にでも発情する夫」も、すべて性の一形態となる。妻は後者のような夫の「性的指向」であっても、認めるべきであろうか。

当然、小児性愛者(ペドファイル)、動物性愛者(ズーフィリア)、屍体性愛者(ネクロフィリア)も「性的指向」の一形態となり、LGBTPZNという概念はこれにあたる。
LGBTという「性的指向」の理解を促進しようとするなら、なぜPZNが認められないのかという反発が生じるだろう。現に世界で、動物と結婚した事例は幾つも上がってきている。

多数者(マジョリティ)がこうした事態を「おかしい」と思わず「多様性」と歓迎するようになっていくなら、人類に希望ある未来などありはいない。
「多様性」という美名のもと果てしない細分化が進むほどに、世界は不安定化し、混乱が拡大していくだけだ。

最近、1979年のヒット曲『HOW! ワンダフル』が、やたらと沁みてくるんである。昭和の「当たり前」は、今だって「当たり前」なはずである。
(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?