不眠症の音楽
夜、布団に横になると枕元に小型スピーカーを置き、ハードディスクのデータから選んで音楽をかける。
静かなものがいいとは限らない。むしろ曲も編成も複雑で、瞬間瞬間に表現や気分が変わる方が、早く就寝できる。
楽器の音を個別に分類しながら聴いていると、それだけ耳から入る情報量が多くなって、脳がリラックスしながらも適度に疲労していくからだろうか。
マーラーやショスタコーヴィチの交響曲なんか、定番のレパートリーだ。
ベルクの『ヴァイオリン協奏曲』や『ルル組曲』もいいが、ルルだといったん音が止まった後の絶叫でたたき起こされるリスクがある。
ときどき無性に聴きたくなるのが、ピーター・ゼルキンのピアノだ。
ただしこの人の演奏だと、寝つきが悪くなる。
数日前にショパンのピアノ曲集を流していたら、どこか居心地の悪い音楽に目が冴え、もやもやしたまま最後まで聴き通してしまった。
もっと言うと、ちょっと気味がわるい演奏なのだ。
ピーター・ゼルキンの父親は、ピアニストのルドルフ・ゼルキン。母はアドルフ・ブッシュ(ドイツのヴァイオリニスト)の娘イレーネという、サラブレット中の大サラブレットだ。
11歳でカーティス音楽院に入学し、19歳で最も有望なクラシックの新人アーティストとして、グラミー賞を受賞している。
ところがそれから2年後の1968年、結婚して父親になったピーターは音楽活動から完全に身を引こうと決意する。1971年の冬、彼は妻と幼い娘の3人で、メキシコの小さな田舎町に引っ越してしまった。
それから約8か月後の日曜日の朝、ピーターは隣の家のラジオから流れるヨハン・セバスチャン・バッハの曲を耳にする。それを聴きながら彼は、「演奏すべきことがはっきりとわかった」そうだ。
すぐに米国に戻り、新たな音楽活動を開始する。
ピーター・ゼルキンはバッハの『ゴルトベルク変奏曲』を生涯に5回録音している。最初は17歳のとき、4回目は47歳のとき、5回目は70歳のときである。
この曲は演奏者のゴルトベルクが、不眠症に悩む伯爵のためこの曲を演奏したという逸話から、「ゴルトベルク変奏曲」の俗称で知られている。
僕が聴いてきた盤は1994年・4回目の録音で、冒頭のアリアが始まった瞬間「うわっ、いい」となる。硬質で低体温、内省的な響きに魅了されるのだ。
ところが変奏が進むにつれ、音楽の流れについていけなくなる。というか、流れが生み出されていないことに気づき始める。
歯の隙間に魚の小骨が入って、取れずに舌でいじくっている時のもどかしさというか、バッハを聴けば必ず訪れるカタルシスが来ないのだ。
ジャズ流に言えば、スイングしてくれない。
それなら途中で止めてしまえばいいものを、小骨が残る薄気味悪さがそのまま続き、いつか外れてくれるはずとの期待からなのか、耳をそばだてたままの状態が続く。
この人、ひょっとして下手なのかと疑いたくもなるが、当たり前のこととして超絶の技巧である。それがまた、気色悪さを倍増させる。
この曲の決定盤として、グレン・グールドの新旧録音に異論をはさむ人はあまりいないだろう。
早かろう(旧盤)と遅かろう(新盤)とスイングしまくり、最後のアリアが終われば、バッハを聴けた喜びに心は満たされる。
これと真逆なのが、ピーター・ゼルキンの演奏と言えるかも知れない。聴き終えてもついに、カタルシスはやってこないままなのである。
ある意味、どちらの演奏も曲の主旨から外れ不眠症にされてしまうわけだが、その意味は大きく異なる。
ところが両者を聴いていると、共通の単語が頭に浮かんでくる。
それは、「孤独」の二文字だ。(明日に続く)
イラスト Atelier hanami@はなのす