BL好きに後ろめたさを感じる私(と、あなた)へ
どうも。
こりーぬ、です。
初めての方も、また読んでくださってる方も
ありがとうございます。
前回の記事からだいぶ時間が空いてしまいました。
虎に翼についても書きたいこといっぱいなのに
色々タイミングを失ってしまい、
「しまった……」と思っている今日この頃です。
だってもう明日からは最終週なの……
今回の記事はとらつばではありません。
ちょいと刺激的な単語が多いけど
本人としては大真面目に書いてます。
削除対象とかになったらどうしよ……
『BL好き』なことが後ろめたい女
唐突ですが、
私、まあまあBLのお話が好きなんです。
初めてこの世界に触れたのは
まだ十代の、純真無垢(!)な時代でした。
『アーシアン』の衝撃
友人に勧められて読んだのは、
高河ゆん氏の『アーシアン』という漫画で、
背中に羽根を持つ『天使』と呼ばれる
異星人が地球をひっそり監視している
という設定。
実は、天使たちは同性にしか欲情せず、
発情期も年1回なので
子どもが生まれにくくなっており、
そのため、同性愛(の行為)は
死罪とされている。
読み進めていくと、
色々な人たちが同性を愛することによって
苦しむ様子が垣間見えるし、
同性愛だけじゃないタブーも出てくる。
セリフがとても印象的で
常識をぶっ壊される感じ。
とにかく絵はきれいだし、
直接的な表現はほぼないんだけど
手とか表情に艶があるのよね。
主人公の男性2人(ただし、片っぽは中性的で女の子と見紛うほど)
の関係がどうなっていくのか
ハラハラする場面もあったりして。
本屋さんに売られている本で
こんな話を読んだのが初めてだったのもあって
のめり込みました。
まあ、それでですよ。
それを皮切りにそういう作品の存在する世界に
足を踏み入れまして。
多感な時期にそういうのが好きで、
ドキドキしながら読んだりしてたんだけども
なんというか、男性同士の話で
勝手にきゃあきゃあ言っている、
ということに
多少の後ろめたさを感じていたんですね。
どういうことかというと、
自分は女性であって
女性同士のそういう話、
『百合』という方が通りがいいので
使いますけど、
そういうのはちょっと苦手なんです。
想像しやすいからこそ、
リアルに感じてしまう部分がある
からなのかもしれない。
(女性でも百合系が好きな人は
それなりにいるようなんですが。
概念的なものと情欲的なものとあるので、
今回は情欲的な方に寄った話です。)
だから、男性目線からすると、
リアルすぎてBLを面白いとは思えないけど
百合は面白いと思う、みたいなこと?
なので、女性としての私は
自分と同性である百合は
なんとなくいやなのに
ファンタジーとしてBLを面白がっていること
自体が男性に対して失礼なのでは?と
思ってしまったりしていたのです。
それは男性側からみたBLも
私と同じなのではと思ったからなのですが。
それに、リアルなBLが見たいと
思っているわけではなかった。
BLのドラマCDとかもあったりするんですけど、
今思えば、私は聴きながら
『それを演じている声優さん』
を想像してしまって、
声が入るだけでもちょっと別のリアルを感じて
こそばゆい様な気持ちを抱くくらいには
苦手だったのを思い出したわ。
男女以外の性別を知った衝撃
高河氏が『アーシアン』と
同時期に描いていた『源氏』という
異世界トリップものっていうんでしょうか?
未完の漫画があります。
その中に
女の子として生まれ育ってきたけど、
高校生になっても生理が来ないから調べてみたら
子宮がなかったことがわかって
自棄になった子が出てくるんです。
たしか染色体を調べたら
XYだったということだった気がする。
生まれたときに女性に分類されたなら
外性器は女性だったんでしょう。
「15年間ずっと女の子だと思って生きてきたのに
今更男だって言われても、これからどうしたらいいの⁉」
まだ十代の時期に
「こんなことが現実にあるかもしれないのか……!」と
これまた衝撃を受けました。
こういう事例が実在するのかどうかは別としても。
どういう意図でこの子をこう設定したのか
途中までしか読んでいない私には知る由もないのですが、
『子供を産むという観点から見た女性という役割』を
果たせない存在、として描きたかったのかもしれない
と思ってます。
この話が発表された当時はまだまだ
女性は結婚して子供を産むという価値観は
かなり重視されていたと思います。
ましてや『いつか好きな人のおよめさんになる
ということをぼんやりと夢想する女の子』からすると
子宮がない→子供が産めない→およめさんになれない→絶望
という思考ルートを辿るのは仕方のないことです。
この話の考察はさておき、
男でもない、女でもない、という存在がある
ということに気づかされた衝撃は大きかったです。
私自身にはそういうことをオープンにしている人が身近に存在しないので
現実味をもって語れることは何もないけど、
白か黒かでは割り切れない、曖昧な存在があること、
そういう人の苦悩の一端を
漫画を通して
ほんの少しだけ想像してみるという経験はできました。
生物としての生き方
さて、同性愛の話に戻しますと。
そもそも実際に、
同性が恋愛対象だという人もいるわけで、
そういう人たちを否定するつもりは毛頭ないのですが、
『アーシアン』の設定でもあった
・同性にしか欲情しない
・子供が生まれにくくなっている
という点が、生物としてどうなのか、
疑問に思ったわけです。
人間という生き物としては
男性と女性という組み合わせでしか
新しい命は生まれない(今のところは)。
体外受精という方法もあるけども。
それなのに、同性にしか興味を持てない
という性質の人が淘汰されていかないのは
どうしてなのか。
進化か、退化か。
つい先日、
私のこの疑問に対する答えのような本と、
本屋さんで運命的な出会いを果たしました。
坂口菊恵氏の
『ジェンダーの生物学ー進化が同性愛を用意したー』
その帯には
「同性愛が観察された種は1,500以上!」
はじめに、を読むだけでも
私が疑問に思っていたようなことは
生物を専門に研究している人の間でも
当然調べていることであったのだ、
ということがわかってワクワクする出だし。
そもそもの出発点が間違ってたんじゃないの?
ということなんです。
「異性愛が普通で正常である」というのは
ジェンダーロール(性役割)によって
決められてしまっただけで、
人はもともとバイセクシャルであり、
同性愛は決してマイノリティではない
ということらしい。
いや、人というよりも
生物全般に言えること。
例に挙げられているのは
種によって、
同性間性行動がオス同士の方が活発とか
メスの方が活発とか、
いちゃいちゃしているカップルもいれば
子どもを育てるための同士だったり、
ただ、生き伸びていくために
仲陸まじく長年ペアを組むとか。
驚きなのは、メスが妊娠中であっても
性行動(異性とも同性とも)が
活発に行われたりする種もあるとか!
性行動が必ずしも
「繁殖するため」ではなさそうなのが、
研究者たちを困らせてきたようで。
繁殖期にメスと交われるオスの割合は
高くても6割ほどで
それ以外のオスは一生、
メスと交わらない個体もあるような種もあり。
群れと群れが出会ってしまったとき、
ケンカに発展させないように
身体の触れ合いでコミュニケーションをとり、
穏やかにやり過ごそうとする種もある。
子どもを育てるためにメスだけで
群れをつくって生活する形態をとる種は、
それは、オスの子殺しを防ぐためだったり。
例えばチンパンジーのメスは
群れの全てのオスと乱婚することで、
どのオスの子供かわからないようにして
子殺しを防いでいるという側面もあるらしい。
一方、ライオンのオスもメスも群れをつくることもあるが、
オス同士メス同士のペアだけで生活する個体もいて、
これは一蓮托生というか、
お互いに助け合って生きていくという形で、
長く一緒にいるわりに性的な睦み合いはしないらしい。
生物の多様性
要するに
「自然」という言葉に惑わされるな、
ということですよね。
『生物は繁殖することが
遺伝子レベルに組み込まれていて、
自然界では、常にオスとメスが交わって
子どもを残すことを至上命題としているから、
発情期はオスとメスの恋の季節である。
だから、人間もそうするのが「自然」なのだ』
という理論がまかり通っている。
人間は通年発情期だけれども。
でも、実際は種によっても個体によっても
取る行動は違ってくる。
メスに擬態したオスが
オスとメスが交尾しようとしているところに
割り込んで、ちゃっかりメスと交尾しようと
したりする鳥がいたり。
角がないオスの方がメスからモテる鹿がいたり。
この本の中にも引用されていますが、
『タンタンタンゴはパパふたり』
という絵本は、動物園で
オス同士でペアになったペンギンのお話。
他のカップルの真似をして石を温めている
オス同士のカップルに、他のカップルが
育てられなかった卵を巣に置いてやると
その卵が孵ったという実話が基になっています。
誰も彼もが異性に恋をして
カップルになって
子を成して生を全うするわけでもなく。
これは人間が勝手に自然界に
期待していただけなのかもしれない。
なーんだ、そうだったのか!
生物現象と文化現象
この本では
セックス・セクシャリティ=生物現象
ジェンダー=文化現象
という二分法に、
従来の雌雄二分法から
アップデートさせることを提案している(ようだ)。
生物は必ずしもオスとメスしかないわけではなく、
それ以外の存在も近年明らかになってきている。
性自認とか身体的にどうか、とかもいろいろあって
私の感想として、ここにはとても全てを書き切ることができない。
とにかく、
人間の世界では文化的な背景から
同性愛が忌避されるものになったり、
或いは全く気にされなかったりと、
政治や宗教に利用されてきた面も多々あるみたい。
生まれた時代によって
迫害されたり殺されたりするかと思えば、
周りを気にせず快楽を追及できたり。
それってあんまりじゃない?
多様性とコミュニケーション
さて、
動物たちも快楽は追及するようで、
マスターベーションしているセイウチや、
動物園のライオンなんかも
前足で挟んでするところを目撃されたりしてる。
イルカなんてさ、
若い時はオス同士でつるんで
同性間性行動をしょっちゅうしてるらしい。
それにね、イルカのオスの身体構造を
初めて知って驚きましたよ!
私は女なんでわかんないけど、
人間(というかイルカ以外)の男の人もこうだったら
急所を隠すことができていいと思うんだけど、
男性的にはどうなの?
それにね、メス同士でもイルカならではの
技を使ってたりとかするのよ!
すごーい!!
しかもね、同じ種族間だけではなく、
鹿にマウントするニホンザルとか
ホモ・サピエンスがネアンデルタール人と、とかで
異種族でも交尾したりするんだって。
性行動というのは、従来考えられてきた
『子孫を残す』という枠では収まらない、
自己の快楽とコミュニケーションのための
行動のひとつなのかなと、思いました。
後ろめたさなんてクソくらえ
つまり、異性愛だけが正道ではなく、
同性愛だろうが、異種族愛だろうが
なんでもありで、
一方的に蹂躙するのでなく(←言語道断)
意思のある人間同士ならば
同意を得たうえでの性行動は
他の誰に許しを請うものでもない。
故に、
BLをきゃあきゃあ言って読もうが
人の道に外れたものではない
というお墨付きをいただけたのだ
と思っときます。
後ろめたさなんて
微塵も感じる必要、なかったんだー!!
因みにNLと表記される異性愛は
ノーマル・ラブの略なんだそうですが、
ノーマル=普通とするならば
もはや普通って何?としか言いようがないほど
時代は多様性に向かって進み始めてるんじゃないかな。
まあ、選択する上でも分類上必要ではあるので、
私は、BLもNLも楽しんで読ませていただきます。
あんまり好きじゃないGLを読まない自由
だけは確保しておくけどね。
と、まあ
ここに書ききれなかった衝撃が多すぎて
ぜひ多くの方にこの本を読んでもらって
凝り固まった常識をぶっ壊していただきたい!
それにこの著者の経歴もかなりぶっ飛んでる。
どんな方なのか興味あるなぁ。
noteに見出しというツールを見つけたので
頭良さそうに見えるかな(*´艸`*)と思って
今回はこれを使ってみたけど、
結局、内容がしっちゃかめっちゃかで
わかりにくさを助長しただけだったかもorz
その前に、言いたいことをただ書き連ねた
いつも通りのやつだった……
解釈も読み解き方も著者の意向と違うかもしれないので、
その点、ただの感想文としてご勘弁ください。