篠山紀信の写真のほぼ全てが自己主張をしていない
あるがままに撮る。実はそこが新しい。自分の側に引き寄せるのではなく、相手になりきってしまう。私小説的な写真と真反対。
自我を消すことで普遍的な何かに到達する
ある意味で生きていながら死んでいるという感覚がなければ撮れない
横尾忠則

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