反復による高揚と差異による陶酔をキーワードとして色々と考えていますが、生命活動に当てはめると、反復のベースになるのは心臓の脈動になります。
そして人間が最終的に迎える大きな差異が「死」です。
では「死」の瞬間に陶酔が訪れるのでしょうか
ここでは、臨死体験をした人が見る光の体験に着目します。
臨死体験に関しては立花隆「臨死体験 上・下」に詳しく書かれていますが、光体験について次のように述べられています。
立花隆も疑似的な臨死体験をして、トンネル体験はしていますが光は見ていません。
私が注目したのが2013年の記事ですが、細胞が死ぬ時に光を放つという記事です。
立花隆の本の発刊が1994年なので、その時点ではまだ青い光のニュースは出ていません。
改めてこの記事から考えると
臨死体験時に見る光というのは、細胞が徐々に壊れ始めていて、壊れた細胞から出る光を(視覚ではなく)脳内で見ていると仮定します。
細胞は一度に全部死ぬわけではなく(動的平衡が崩れてエントロピーが増大していく状態)、徐々に加速度的に壊れていくとすれば、死の瞬間に光が最大に達し、直後に消えることも理解できます。
すると人間が死ぬ時には、細胞死と共に必ずこの光を見て死んでいくようにプログラムされていることになります。
阿弥陀様が光とともにお迎えに来るとも言われていますが、この光なのかもしれません。
映画「風の谷のナウシカ」のラストシーンも思い出します。
一般的な瞑想やマインドフルネスの場合は、このような細胞が壊れる状態にはならないので、光は見えないことになります。
人生の最期に、光に包まれて人生で最高の幸福感を感じながら死んでいく
(そう考えると死の恐怖を少しは減らせる?)。
これが「死の陶酔」とも言えるのではないでしょうか。