人はそれをかけがえのない命と呼ぶ fly 高く舞いあがれ
「ピクちゃん」、「パパのところへ来てくれてありがとう」
私は、幼少期の頃から動物を飼うのが好だ。
今迄に、多くの動物達と過ごし、どれだけ癒やされてきただろう。
何度となく別れを経験し、そのたびに瞼を腫らし泣いた。
先に逝ってしまう、動物達を私は見送り。「私のもとへ来てくれてありがとう」
彼らには感謝しかない。
現在、私は、犬と合鴨と暮らしている。
彼女たちは、言うまでもなく、我が家の家族にほかならない。
犬は、ダルメシアンの「ティマ、4歳♀」合鴨の「ピクシー♀」は、今年4月で9歳になる。
ピクシーが家族になったのは、彼女が生まれて、生後4〜5日くらいだろうか。
ペットショップから、やって来た彼女は、私の手の平に乗るほど小さく。また、寂しさと親恋しさに泣き続けていた。
背中には、可愛らしい天使のような小さな翼。その姿は、まるで妖精のようで、名前を「ピクシー」と名付けた。
こうして私達家族と、小さな妖精との生活が始まった。
丁度その頃、我が家には先住ペットがおり、ウサギの「ミッシェル、11歳♀」だ。
最初、ミッシェルは、なんだコイツ!とばかりに警戒していたが、そのうち互いが微妙な距離感をとるようになり、喧嘩することはなかった。
それどころか彼女らは、ソファーでくつろぐ私のそばへ来て、晩酌の相手までしてくれる(親バカ)
毎日の演習や戦闘訓練で、疲れて帰って来た私には、可愛い彼女達とくつろぐひと時が、何物にも代えがたい、至福の時間であった。
ピクシーは、見る見る大きくなり、生後6ヶ月には、先住ウサギのミッシェルを追い抜く程に成長した。
また、毎日、卵を生むようになり、家計を助けてくれるようにもなった。
ピクシーは、大きくなったとはいえ、そこは箱入り娘、いつでも親が側にいるため、親離れできず。何処へ行くにも私の後をついてばかりいた。
野生の鴨ならば、とっくに巣立ちをしているものなのに(笑)。
1歳になったピクシーは、とてもアクティブに活動するようになる。
夏は、川で泳ぎ、冬は、枯れた田んぼを飛び回り。私と一緒に、川のせせらぎの中を数kmにもわたり、沢登りをしたこもあった。
そんな楽しい日々が、いつまでも続くものと、その時は疑う事もなかった。
ある日、ピクシーの様子が変だ。元気がなく、食欲もない。よく見ると眼球も濁っていた。これはおかしい。
私は、動物病院を探したが、近くに鳥を診てくれる病院は見付からなかった。
ネットを調べると、ここから高速で1時間くらい走った所に、K動物病院があった。そこでは鳥を診てくれる専門病院であることがわかった。
私は、車を走らせ、動物病院へと急いで向かう。
K動物病院は、その他の動物も診るが、鳥専門だけあって、インコや小鳥を連れて来る方も多かった。
診断結果は、ウイルス性の感染症によるもので、右眼は、殆ど見えない状態だった。
即、入院治療となったが、進行は止められず、結果的に両目を失明してしまった。
「どうしてこんな事に・・・」
それからも必死に治療を続けたが、ピクシーの目が見えるようになることはなかった。
獣医からは、「光を感じる程度で、見えてはいないでしょう」と言われた。
私は、ピクシーに「もう飛ぶことも出来ない」、「病気にさせてしまって、ごめんね」、「目が見えなくさせてしまって、ごめんね」と何度も、何度も謝った。
まったく、自分の不甲斐なさを嫌と言うほど感じさせられた。
これから先は、私がこの子の目にならなくては。と、心に刻む。
しかし、動物と言うのは強いもので、目が見えないピクシーは、物にぶつかりながらではあるが、家の中を自由に歩き回る事ができた。
2年間見えていた時の記憶を頼りに、行動ができたのだ。
エサ箱や水入れも、場所を変えなければ、自分で食べることができる。
ただ、外を歩く際は、以前よりも私の足元に近づき、足音を頼りに着いて来るのだ。
勿論、私の声には反応するので、川で泳いでいても、私の元へ戻ってくるよう訓練を続けた。
そうすることで、彼女が日常の生活で不自由しないように慣らした。
そして今では、目が見えているかのように、活発に動き回れるようになった。
突然の病気で、不幸にも盲目となってしまったピクシー。
私は、当然だが、この子を最期まで面倒を見ようと思う。
目は見えないが気持ちは通じる。この子には、私が必要なのだ。
いや、私がこの子を、必要としていたのだ。
ペットは、飼い主を撰んでやって来ると聞いたことがある。
ピクシーは、私を撰んで、私の元へ来てくれたのだと、病気になって初めて気付いた。
「ピクちゃん」、「パパのところへ来てくれてありがとう」
「ピクちゃん」、「生まれ変わっても、またパパのところへおいで」
あとがき
2024年2月29日、ピクちゃんは、虹の橋へ飛び立って行きました。
これまで、インスタグラムやXで温かなコメントをくださった皆様、ありがとうございました。
著 者 宮澤重夫
平成30年に陸上自衛隊化学学校
化学教導隊副隊長を最後に退官
現役時代に体験した、地下鉄サリン事件や福島第1原発事故対処等の経験談を出筆中
主な資格等
防 災 士
第2種放射線取扱主任者
JKC愛犬検定最上級