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金島書を読んでみた7 「北山」その2 佐渡は悟りの地
「北山」訳のつづきです
(ここからの「国」は畿内五国とかいうときの国のように見える)
(が、それより昔)伊弉諾尊と伊弉冉尊が天の浮橋から、
光のように差し下ろした瓊矛から滴った淡路の国がはじまり。淡路島は南海にあり、
この佐渡島は北海にあって(真言密教の)胎蔵・金剛の両部として、揃って南北の海に浮んでいる。
(淡路島と佐渡島が)海の四方の涯までを守り、
七葉の金の蓮の上から浮かび現れる国として、 この両島を神の父母とも呼ぶということだ。
それで北野天満宮の御歌にも、
「かの海に黄金の島のあるなるを、その名ととへば佐渡といふなり」とよまれている。
この御神詠も神のお力がはっきりとあらわれている。
不思議に美しい佐渡の国の名は永遠に知られている所である。
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さて、その神代の伊奘諾尊・伊奘冊尊の二柱の神は、
今の世では別々に人々を救うための権現の形をとられた。
伊奘諾尊は熊野の権現として現れ、南山の雲に種を蒔いて国家を治められた。
伊奘冊尊は白山権現として現れ、北海で種を収められた。
そして、白山権現は悟りの月の光として、
この佐渡の国即ち北山に、毎月毎日今もお姿を現してくださるので、
土地は 豊かで、民も徳厚く、
厚い雲がかかった白山も伊奘冊尊も、この佐渡の海に御鎮座くださるということです
そもそも、このように神のご加護がある佐渡の国に、
少しでも我が身を置く事はいつの前世の縁だろう。
まあ良い、私のようなさだめなき身をも、住ませて下さり、
(水が澄み、心が澄むまま)
そのままに生きとし生けるもの、諸々の仏も共に有り、
山はおのずから高く、海はおのずから深く。
「語り尽す山雲海月の心」という言葉のように、
まことにしみじみと趣深い佐渡の海。
見渡す限りの緑の山は季節の移るにつれ彩られる。
その国の名を尋ねれば、佐渡という。
この黄金の島は不思議に美しい所です。
ここでは水は、
掻き回せば大地が迫り上がる始原の海であり、
底に大日如来を蔵し、金剛界胎蔵界あわせて含み
日本国土を覆うほど巨大な黄金の蓮華が開く
神は遊び、水は澄み、海深く、それぞれのものがそのままに
命輝けるその根源
この地図は行基図と言われるものです。
今回は現代の私達が思っている向きに日本国を置きましたが、
地図中の国名の向きで分かる通り本来は天地逆さまです
室町期に地図見る人は今とは逆に世界を把握していました。