いじめ後遺症:自分の無価値感①
17歳の時、男子集団からいじめをうけていた。
始めはコソコソ話程度だったものが、徐々にエスカレートしていく。
待ち伏せ
校内ストーカー
ロッカー前に立ってふさぐ
根も葉もないうわさを別のクラスへ流す
本人に聞こえるボリュームで不快に笑いながら話す
移動教室の際、私がいつも座る場所からイスを取り上げ、返してほしいと言いに来るのをニヤニヤ笑って楽しむ
など。
10代は過激なことをしたくなる年齢だと、どこかで聞いたことがある。
集団になると罪悪感が薄まるそうで、本人たちは遊び半分でやっていたのかもしれない。
あの頃をどう振り返っても、私はなにも悪いことをしていない。集団に馴染むことができず、目立っていたことでいじめのターゲットになった可能性はある。
移動教室先では、うわさを聞き付けた男子たちが笑いながら「俺の前にいるやつ、最悪だな」と言っていた。
私のすぐ後ろの男子が言っていたので、自分のことを指していると分かる。彼らは私の名前を出さなかった。
主犯格と思われる男子がいた。中学校が一緒で、私の友達や他の女子をいじめて楽しんでいた。
同じクラスになったことがあるため、当時の私を知っているのはその人しか考えられない。
私は自主退学をした。
私にとって、いじめの経験は強烈なトラウマで、10年以上たった今でも後遺症としてしっかり残っている。
当時、クラスのほとんどの男子が私のいじめに参加していた。
そして、周りの女子は助けてはくれなかったし、友達も「勘違いだ」と軽くあしらわれた。
いじめられたことがトラウマの直接的な原因だと思うが、周りが助けてくれなかったことも影響していると思う。
「自分はいじめられてもいい存在で、助けられるだけの価値がないのだ」と烙印を押されたような気がした。
長年、いじめ加害者に対して「許せない」と思ってきた。
だが、トラウマが常にそばにいると心も疲れてきて「許せない」が「もう疲れた」に変化する。
「自分に価値がない」という考えがまとわりつく。
仕事に就くこともできないし、発達障害、メンタル疾患で気持ちが安定しない。
身なりや外見に気を遣うとか、健康を意識することもなくなるし、無気力になる。
自暴自棄になって衝動買いをする。
部屋には衝動買いしたものであふれている。
心が安定して前向きに活動できる。資格試験の申し込みをしたり、勉強のために課金したり、本を買ったり。
だが、気持ちが落ちると「なんであんなことをしたんだろう」と自分の言動に後悔する。申し訳ない思いが頭を支配し、心は底に引きずりこまれる。
自分では頑張っていても、目に見える結果はいつも同じ。「口だけは達者の何も成し遂げられない人間」に見られているようで、「またか。でも自分がこんな結果を招いたし、そう見られても仕方ないよな。」と認めるしかない。
これを繰り返す日々だ。
同い年の人はどんどん前に進んでいき、私がいじめられていたことも、徐々に忘れていくのだ。
中には気にしてくれていた人もいたかもしれない。
だが、学校という狭い世界では、誰かがいじめられていても、助けに行くという行為は危険とみなされる。
自分が標的になるかもしれないし、目立った行動をすると学校生活が送りづらくなるからだ。
本当は助けてほしかったし、せめて友達くらいは真剣に私の苦しさを聞いてほしかった。
中退して数年がたち、LINEを教えてほしいと家族を通して連絡があった。
何度か断っていたが、どうしても話したいことがあるから教えてほしい。
ときたので話をした。
「結婚するので結婚式に来てほしい」だった。
怒りを感じたし、「ああ、LINEを拒否していた意味もわかっていなかったんだ」と泣きながら笑ったのを覚えている。
彼女は結婚するし、幸せな人に怒りをぶつけるのは良くないと思い、社交辞令的な内容と、なぜ関わりたくないのかを正直に話した。
彼女とは小学生から一緒で、別に彼女自身のことは好きだった。
ただ、関わるといじめを思い出すのが辛いから、もう関われない。
「察することができなくてごめんね」という彼女の言葉に、あれから長い時が経っていたのを改めて実感した。
その後、数週間ほとんど寝込んでいた。
「結婚式に呼ばれたということは、それだけあなたのことを友達だと思ってくれていたんじゃない?」
と家族は言う。
友達だから呼んでくれたのだろうとは思っていた。ただ嬉しさはなかった。
私だって人間だから、どうしても比較してしまう。
結婚式に行ったとしても、今何をしているかという話題は避けれられない。何をしているか正直に話せば、その場の空気を壊すことも想像できた。
もうそこにいるだけで、みんなと自分の進み具合が違うことを感じたくなかった。
いじめを経験し、男性恐怖症になった。人間不信にもなったので、どこのバイトも長続きせず、働くことが怖くなっていった。
メンタルクリニックには10年以上通っていて、薬も飲んでいる。
生活訓練、B型事業所を経て、就労移行事業所を利用している。
勤怠が安定しないと企業に信用されない。だが私は安定して通えていない。
「自分はまともに働けないかもしれない」と、薄々は感じていた。こうして具体的な課題として現れると、いよいよ自分が働けそうにないことを実感する。
食べることが好きだったが、食にもあまり興味がなくなっている。お腹はすくが、食べる気になれない。
栄養を取らないことで肌が荒れたり、髪の毛が抜けたり、メンタル悪化につながるかも。といった元気な頃は気にかけていたことがどうでもよくなる。
「価値」は人間が作ったものだと理解はしているし、人によって違うこともわかっている。
ただ、誤解されやすいものをたくさん持っていると、自分が「劣っていて価値のない人間だ」と感じる瞬間を人より多く経験する。