残酷すぎる人間法則
人は見た目で判断できるのか?
私たちは、第一印象で人の性格を見分けることはそこそこ長けている(約70%)が、嘘を見抜く力は、コイン投げの確率と変わらない。
そして、人の考えや感情を受動的に読み取る力にいたっては、ひどくお粗末(約20~35%)だ。
さらにまずいのは、最初に誤った印象を抱くと、それが心に刻まれやすいことだ。
多くの場合、自分こそが最大の敵だ。
確証バイアスによって、自分がすでに持っている見方と一致するものを記憶し、一致していないものを忘れてしまうからだ。
私たちが人の考えや感情を受動的に読み取ろうとしても不正確なことが多いが、意欲を持って積極的に人の注意を引くことで改善が見込める。
とはいえ、自分の能力を高めることばかりに重点を置くのは間違っている。
人の性格を読み取るにせよ、嘘を見抜くにせよ、最も精度を高める方法は、相手からより多くのシグナルが得られるようにすることだ。
さて、「人を見た目で判断」できるのだろうかの否かの最終評決はどうなるのだろう?
「人を見た目で判断しないことに重点を置くかわりに、間違いなく下してしまう判断を修正することにもっと力を注ぐ方が上手くいく」とするのが有効だろう。
※「そりが合わない」の科学的説明
第一印象が確証バイアスになり、そこから抜け出せない。
そのことが人間関係に著しく影響を及ぼす。
たとえば、初対面の誰かが「信用できない」顔に見えたので、あなたの態度は日ごろよりいくぶん不愛想になる。
あなたがうち溶けないので、相手もあなたに対して距離を置く。
相手にしてみればもっともなこの反応が、あなたの確証バイアスを作動させる(「ほらね、やっぱりいい人じゃなかった!」と)。
こうして互いに警戒心を抱くことになる。
「まさかのときの友こそ真の友」は本当か?
共感とは、自分と相手の間の境界線が曖昧になること。
親密さとは、自分自身の心象の中に場所を作って誰かを受け入れること。
そして真の友人とは、「もう一人の自分」であり、あなたの一部である。
友情は、相互扶助によって定義されるかもしれないが、取引関係ではない。
脳は、友達は私たちの一部なのだという物語を教えてくれる。
それによって、私たちは冷酷なダーウィニズムの指令に打ち勝ち、利他的に行動できるのだ。
友情を管理する正式な制度は何もない。
そのため、友情は時に脆いが、純粋だ。
だからこそ、他のどんな関係よりも、友人は私たちに幸せをもたらしてくれる。
しかし、婚姻証明や契約書といった裏づけが何もない以上、友人関係を維持するにはたえず投資(一緒に過ごす時間を作り、弱みをさらけ出して胸の内を伝える)を怠らず、友情を守ることに熱心に取り組まなければならない。
すなわち、「まさかのときの友こそ真の友」は本当か?
真実である。
ただし、解釈の混乱を解消するために、注釈が要る。
「困ったときにそばにいてくれる友は、間違いなく友である」
「愛はすべてを克服する」のか?
愛に正しく取り組めば、非常にうまくいく。
だがしくじると、非常にまずいことになる。
私たちは、恋愛初期の高揚感が自然といつまでも続くと想定する誤った枠組みを持っているが、エントロピーによってその力が弱まっていく可能性の方がはるかに高い。
おとぎ話は受動的で、長期的には役に立たない。
愛を維持させるには、積極的な努力を要する。
二人の間で進行中の問題のうち、解決困難な69%に対処するために、コミュニケーションにおいて致命的にネガティブな要素、「人格批判、自己防衛、拒絶、軽蔑」の行為を減らさなければならない。
きつい言い出し方を避け、子供に向けるような思いやりや寛大さをパートナーに示すことがカギとなる。
しかし結局のところ、ネガティブな要素を減らすだけではまだ充分と言えない。
ポジティブな要素を増やす必要がある。
恋愛初期のようなポジティブなバイアスを取り戻すには、四つのRが必要だ。
・自己拡張(一緒に成長し、学び、挑戦すること)で気持ちを際燃させること。
・常に自覚し、二人だけのユニークな文化創出へ向けて親密さを深めること。
・ミケランジェロ効果で互いを更新し、向上させること。
・そして最終的には避けられない闘いを美化する愛の共有物語(将来のビジョン)をたえず書き換えることだ。
やることは山ほどある。
でも努力次第で、私たちは今日、いまだかつてないほど最高の結婚生活を築くことができる。
ということで「愛はすべてを克服する」のか?
「努力次第で、あなたの愛は、すべてを克服できる可能性がある。」
人は一人で生きていけるのか?
孤独は最悪だ。
しかし私たちは今、かつてないほど孤独になっている。
その原因は、人が足りないことではなく、コミュニティが失われたことにある。
孤独は歴史上新しく、比較的最近、個人主義の物語から生まれた。
私たちは、もう少し意識的に孤独を活用して、より創造的になり、知恵を見出し、自分自身と向き合うことができるだろう。
19世紀以前の人々がそうであったように、私たちには、コミュニティと孤独のバランスが必要だ。
ところが今は、その両方が十分に得られていない。
人気は確かにいいものだ。
しかし、今日の文化として、人々は間違ったタイプの人気、すなわち、好感を持たれることにより、地位や権力、名声を選んでいる。
それらはたいてい良い結果に繋がらない。
コミュニティの欠如は、脳の灰白質に危険を感じさせ、生活や人間関係でさらなるコントロールを求める方向へと向かわせる。
その結果、心が満たされないデジタルな手段でもパラソーシャルな関係を選ぶことになる。
ソーシャルメディアは悪ではない。
しかし、私たちはとにかくそれを本物の人間関係やコミュニティと置き換えてしまうので、しばしば弊害の方が利点を上回ってしまう。
今日の超個人主義社会の結果、幸福度が下がり、うつ病が増えている。
ということで「人は一人で生きていける」のか?
「人は一人で生きていけない」=真実である。
『まとめ』
人生においてただ一つ、本当に重要なものは他者との関係だ。
あなたにとって最も幸せな瞬間を思い浮かべれば、それは必ず人と関わっている。
最も辛い瞬間も、やはり人に関わることだ。
人生を築くのも、壊すのも、全て人との関係なのだ。