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サムライクリスチャン高山右近8合戦の日々

高山右近は、布教活動に邁進する傍ら、武将としての評価も高めていきました。損得に左右されない善良な人格が重宝されたのです。

特に、織田信長の覇業を引き継いだ「豊臣秀吉」のもとでは、主要な戦いに次々と参陣。1582年(天正10年)の「山崎の戦い」(やまざきのたたかい)において、先鋒を務めて「明智光秀」軍を破ったのを皮切りに、「柴田勝家」との「賤ヶ岳の戦い」(しずがたけのたたかい)や、「徳川家康」との「小牧・長久手の戦い」(こまき・ながくてのたたかい)にも加勢し、勝利に貢献します。

歴戦の戦功が豊臣秀吉に認められ、1585年(天正13年)には、播磨国明石(現在の兵庫県明石市)の「船上城」(ふなげじょう)を拝領。高山右近は、60,000石の大名となったのです。

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