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聖徳太子とイエス・キリスト4


太子が誕生した「厩(きゅう)つまり厩舎の事」に対しては「粗末な馬小屋」というイメージを抱きがちですが、これを誤解とする意見もあります。

『日本書紀』には、応神(おうじん)天皇の時代、百済(くだら)系渡来人の阿直伎(あちき)が百済の良馬を軽(かる)の坂の上につくられた厩で飼い、同時に太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)に儒教を講じたという記述があります。つまり、古い時代では、馬を飼う者は知識人であり、厩は教育の場でもあったというのです(石井公成『聖徳太子』)。

 飛鳥時代の馬小屋は、聡明な太子の誕生地にふさわしいハイソな空間だったのかもしれません。

穴穂部間人皇女が太子を出産した場所は欽明天皇別宮であり、現在の橘寺とされています。

聖徳太子とイエス・キリストの関係は、後世の人がキリスト教とドッキングした伝説という事です。


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