法華経とイエス・キリスト エピソード3
イエス・キリストの十二使徒の一人聖トマスは、インドに伝道に出かけたと伝えられている。
いまでもケララ州ではその信仰が残っている。
紀元後のインドではキリスト教が広まっていた。
大乗運動自体がキリスト教に触発されたもので、信者をキリスト教に奪われることを危惧した仏教側の改革だったと言われる。
大乗仏教全体がキリスト教の影響を受けているのなら、法華経だけを外道扱いするのはおかしいではないか。
大乗仏教は修行より布教を重視し、釈迦の教えを拡大解釈するものだと、以前からの仏教徒である上座部から批判された。しかし、あくまで拡大解釈にとどまり、釈迦の思想を引き継いでいる。
法華経は、同じ大乗仏教に分類され、仏教用語を使っているが、仏教的な理論を含まず、ひたすら自画自賛と信仰の重要性を強調している。
釈迦自体が究極の真理を語ろうとはしているが、比喩ばかりで、肝心の真理は語られずに終わっている。それで日蓮は、本文ではなく文の底に真理が隠されていると考えたのだろう。