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この戦争は、どう始まったか -PMC(2)

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レダットの管理者たち

現在も、ウクライナに相当数の戦闘員を置いているレダットは、露国防省の完全な管理下にあるとレダットの元指揮官を含む4人の情報筋が言う
同団体の本部は、モスクワ郊外のクビンカという町にあり、第45空挺旅団の基地に隣接する土地にある

この基地に勤務していた退役軍人や複数の現役傭兵が語ったところによると、露軍将校が民間軍事会社の経営をしている
特に、ノバヤ・ガゼータ紙によると、元第45連隊副連隊長であるコンスタンチン・ミルザヤンツがレダットの事務を管理している可能性があるという

コンスタンチン・ミルザヤンツ(画像は2003年の裁判時ものと思われる)

(注:露国営メディアLENTA.RUの記事によれば、コンスタンチン・ミルザヤンツは1994年にジャーナリストを爆殺した容疑で起訴されたが、軍事裁判所で2度の無罪、2003年に露最高裁でも無罪とされている。1967年生まれ。)

ミルザヤンツはノバヤ・ガゼタの質問では否定したが、現在ウクライナにいるレダットの戦闘員たちは、ミルザヤンツが前線で一緒にいたと主張している
「この戦争に負けたら、ロシア連邦という国家はなくなるんだぞ
おれたちはここで全世界と戦争をしているのだ」
と、ミルザヤンツは言っていたという

戦場で受けた大損害でレダットが事実上無力になると、露国防省はクビンカの基地で再募集を始めた
この時、露軍は戦闘員たちに短期の正式契約を結ぶよう呼びかけた
露国防省のユヌス・ベク・エブクロフ国防副大臣がこの正式契約推奨を計画したと、ある傭兵は証言している
(エブクロフは取材を拒否した)

ユヌス・ベク・エブクロフ

(注:露軍人。2008年から2019年まで露連邦イングーシ共和国の大統領・元首であった。2019年から露国防副大臣。1999年、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に従軍。2009年、イングーシの不満勢力の暗殺未遂にあっている。)

レダットの兵士を軍隊に吸収させたが、何の役にも立たなかった
傭兵の多くは進んで契約を結んだが、露国防省のために直接働いても、割の良さを保証するものではなかった
傭兵の中には、露国防省が給料やボーナスを約束通り(時には全く)払ってくれない、と不満を漏らした者もいる
「借金を返したいが、今は何の権利もないただの貧乏人だ!
信じられるのは自分自身とAK-47だけだ」と、ある男は言った
レダットのベテラン傭兵は、ウクライナで露正規軍のみすぼらしい姿と戦闘で受けた大きな損失にショックを受けたと語る
「国家と指揮官を信じて契約した18歳の子供たちが、指揮官が星を肩に付けたただの間抜けだと知って、かわいそうだ」 と彼は言う
プロの傭兵がスムーズに戦闘を進めるのを見て、若い兵士たちがショックを受けていたと説明する
「彼らは人々を無駄に死に追いやっている
軍隊に空挺部隊はもう存在しない
中隊に十数人しか残っていない
中隊には100人は必要なんだよ」

渡河作戦失敗

5月11日、ルハンスク州のセベルスキー・ドネツ(ドネツ川)を渡ろうとした露第35親衛騎兵旅団のBGTがウクライナの砲兵隊によって壊滅させられたのを、レダットの傭兵たちは目撃した
戦闘車両の列は炎上し、操縦士は生きたまま焼かれ、戦車は破損した橋の上に放置され、兵士は水の中に逃げ込んだと報告している

BMD-3

「66両のBMDが、燃えるのをただ見るだけだった
ただ燃やしただけだ
100〜200人くらいは殺されていたかもしれない」
とレダットの兵士は回想する
「すでにドネツ川を渡りはじめたところで爆撃を受け、『みんな、下がってくれ、すぐに別の場所を探すから』と言われた」という

夜のうちに、レダットの傭兵部隊が偵察任務のためゴムボートで川を渡っていたので指揮官が連絡したそうだ
「荷物をまとめて方向転換しろ」
「なぜですか?」
「もう、支援できる兵士がいない
燃え尽きた66両のBMDしかない
残っているのはほんの一握りだ」

結局、この大失敗で、露軍はリシチャンスクとセべロドネツクにいた約1万5千人のウクライナ軍を包囲する機会を失ってしまった
(露侵略軍はこれらの都市を占領したが、ウクライナ軍が撤退した後になった)
レダットの部隊も損害を被った
レダットの傭兵の一人は、戦争初期にキーウ郊外の町を難なく占領したが、ドネツク地方でウクライナの補給線を切断しようとしたところ、激しい抵抗にあったと語る
「そこで追い返された
受けた損失は、正気の沙汰とは思えないようなものだった
テレビで言っていることが現実なら、キーウはおろかポーランドだって占領しているはずだ」

また、レダットは他の軍主導の傭兵部隊とも協力関係にあるそうだ
ロストフ・オン・ドン近郊のヴェセロイエ農場にある国防省の訓練場では、少なくとも200人の2部隊がウクライナへの派遣を準備しているという
これらの部隊は、戦争初期にベラルーシ国境を経由してウクライナに入国した部隊だ
キーウ郊外に到着したこの傭兵たちは、露軍がウクライナの首都から撤退する3月末までそこに留まっていた
ロシア軍の撤退後、これらの領土での戦争犯罪が数多く報告されている
その部隊は今(2022年7月)、ドンバスにいる
これらの部隊の戦闘員は、軍事専門家の不足、情報の不足、「異常に多い」犠牲者数を報告している

「ベラルーシからキーウへ向かうとき、戦闘に入る前から戦車を2両失った
一両は地雷にやられた
爆弾処理班が『まだ進路を確保できない』と手を挙げていた
その間、我々5人に何ができただろう?
待っている間に、二両目の戦車がATGMでやられた」

「イジュームでは、戦闘の直前に『これを持っていけ』と地図を渡されたこともあった
つまり、指揮官は地図すら見ずに、戦闘に向かおうとしていたのだ」

「『組織がクソだから大損害を受けている』と文句を言うと、
『でも、NATOの攻撃を阻止するためにやるしかなかったんだ』と言って、すぐに自己弁護を始めた」

ワグナーPMC

モルキノ訓練場での訓練風景

ワグナーPMCの傭兵が戦線に現れたのは、3月下旬のことだった
彼らは、「ワイルドでファンタスティック」な募集の結果、採用者を見つけたと言われている
しかし、露国防省やPMCの指導者に近い情報源は、採用は会社経営陣ではなく、露軍がPMCの採用インフラ全部を使って実施したと言っている
一部の採用担当者たち、候補者選びに使うモルキノ演習場の「フィルタリング・エリア」、そしてその「商業ブランド」、更に、絶えず更新され続ける採用条件を使って…
(10月28日にYoutubeに公開されたモルキノ訓練場での訓練風景。この動画の説明では、動員兵は2週間の訓練を受けて前線に向かうそうだ。)

露国防省の管理下にあるワグナーPMCのリクルーターは、長年にわたって不合格者のブラックリストを作っていた
(ワーグナーの元隊長は、2015年以降、こうしたリストに500人から1000人の名前が蓄積されている可能性があると推定している)
BBCのロシア・サービスが最初に発見したように、ブラックリストの人々もこの戦争に召集されている

PMCが直営で行っては「ブランドを毀損する」と理解されていた、と経営に近い関係者が言う
「実際、露国防省は『このブランドは宣伝になるから必要だ、自分たちもこのブランドで採用する』と言った
しかし、フランチャイズに加盟するなら、その会社のルールに従って行動しなければならない
そして、その企業倫理を守らなければならない
しかし、露国防省は、申し訳ないが、薬物検査がなくても受け入れている」

「ワグナーは、すでに異なる形態で前線に到達している」と、民間軍事請負市場の露国防省と近い関係者は認める
「 彼らは、露国防省と契約してやってきた。PMCとは一切関係なく」

モルキノ演習場でも、ワグナーの面接を受けに来る候補者が来るなど、変化が起こっている
「最近は、『フィルター(採用試験)』の場所に、ワグネリアンの窓口一つだけではなく、いくつもの『傭兵組織』の窓口がある
リクルーターが動き回って勧誘している
そして、候補者の人数も増えている」という

「男は金のために戦うのではない。男はケツに刺さった十字架のために戦う」

2022年4月16日、露連邦議会副議長で保守派でタカ派のヴィタリー・ミロノフがプリゴジンとのツーショット写真を公開した

ヴィタリー・ミロノフとプリゴジン

ヴィタリー・ヴァレンティノヴィッチ・ミロノフ:個人の自由を制限する法案を多数提出・成立させている議員

迷彩服を着て笑顔を見せる2人は、ルハンスク州にあるペルボマイスクの学校の前でポーズをとっていた
当時、その数キロ東で、プリゴジンの傭兵たちはポパスナ攻略にしのぎを削っていた
(この2カ月後、プリゴジンの傭兵たちはポパスナというこの小さな町を占領し、侵攻作戦で最大の成果をあげた)

プリゴジンの知人であり、サンクトペテルブルクに住んでいるヴィタリー・ミロノフは、
「自分を武将のように思っていて、本当に暴れて、英雄のつもりになって戦争地図の上に立つことも日常的だった」という

当時、プリゴジンは、シリアやアフリカでの契約や軍事的な約束を守ることを、むしろ心配していた
4月(「特別作戦の49日目から50日目」とこのプリゴジンの知人は言っている)、前線の失敗続きの中で、露国防省はワグナーPMCにアフリカ、シリア、リビアなど海外派遣の傭兵を帰国させて、ウクライナに再派遣するよう強要している
「ワグナーの部隊は海外から撤退を余儀なくされた」とPMCに近い仲介者が言っており、他の傭兵の4人の傭兵の情報源にも確認した

露国防省は、ブラックリストに掲載された部隊が被った深刻な損失を見て、このような行動に出たのだろう
「ワグナーのリフゼニク(ワグナーPMCの第 5突撃隊)は当時アフリカにいた
そして、『リフゼニク』の中から、新編成した部隊を結成した」
と、ウクライナでワグナーと一緒に戦ったレダットの兵士が語る
「その新部隊はマリウポリに送られた
そして、彼らははなぜか夜に火をつけて......味方の大砲にやられた
その後、アフリカからもっと人を送ってくるようになった」
春のビジネストリップから帰ってきたばかりのワグナーのコアメンバーたちにも、ウクライナ行きの命令が出た

「俺はここに来るつもりは無かった
4月に休みの予定が突然台無しになった
昨日は、休みに何をしようか菜園や小屋や天井の修理かといろいろ考えていたのに、
リシチャンスクの近くのどこかに連れてこられた」と言っていたそうだ

しかし、「ワーグナーのプロ集団」の中には、純粋にイデオロギー的な動機でウクライナに行った部隊もいるようだ
このような証言がある

「ワグナーに所属する傭兵の中にはウクライナにルーツがある人も多い
彼らはリシチャンスク、ポパスナ、スロビャンスク出身だった
(2014年と2015年に殺された者の)罪を清算するという考えで、ウクを潰しに来ていた
すでに、100人以上ウクロップ(ウクライナ人に対する蔑称)を殺した仲間もいる
彼のライフルには100以上の印がついている
戦争が終わるまでには500にはなっているだろう」

「男は金のために戦うんじゃない
ケツに刺さった十字架のために戦うのだ
彼の家族は2014年に砲撃で死んでるんだ」

ベテラン・リーグ

「ポパスナ、リシチャンスクとその周辺の拠点を奪ったのは、彼らの部隊だ
一人はポパスナを、もう一人はリシチャンスクを狙った
彼らは家族や親しい友人をそこで殺され、仕返しをしに行ったんだ」と、この証言者は続ける
この証言者は、その部隊を「リーグ」「ベテラン・リーグ」と呼んだ

「ベテラン・リーグ」の名が、セント・ペテルスブルグのワグナーPMC事務所から、初めて出たのは2016年である
2016年3月、ワグナーPMCとシリア軍、露空軍による対イスラム国(ISS)共同作戦で、パルミラ遺跡とその近郊の町タドモルを解放した
この時、ショイグとプリゴジンの戦功争いが生じ、その後ワグナーはシリアでの活動が制限されることになったという
「パルミラの後、長い間、廃業していたんですよ
当時は、『人員削減がある』『ベテラン・リーグのメンバーしか職員に残らない』と言われていました」と、ワグナーの元社員が振り返る
「つまり、ベテラン・リーグは指揮官と、指揮官が選んだ最も経験豊富で貴重な戦闘員たちです」

2016年、アンドレイ・トロシェフ(EUから「ワグナーの執行役員」と呼ばれ、制裁を受けている)が、ワグナー内部のNGO「地方戦争と軍事紛争の退役軍人の利益擁護のための連盟(ベテラン・リーグ)」の代表となった

アンドレイ・トロシェフ(2016の映像)

アンドレイ・トロシェフ:退役軍人。元北西連邦管区主管局SOBRの司令官。元警察庁大佐。2016年、シリアにおけるワグネルPMCの活動成果に対して、非公開の大統領令で「ロシアの英雄」の勲章を受けている

2022年3月以降、ウクライナ軍はワグナーを「リーグ」と呼んでいる
(ウクライナの活動家たちは、とっくに、2018年から呼んでいた)
この部隊の出現の経緯をよく知る3人は、「モルキノ(訓練場)」にワグナー幹部を中心に「リーグ」が結成されたことを認めたが、その後、「バンドワゴン」のエリート(「リーグ」の噂を聞きつけて集まったエリート兵士達)を集めた特殊部隊が、露軍によって特別に管理されていると教えてくれた

(続く)

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