猫、闘病中。
愛猫が癌告知を受けた。
しかも一番タチの悪い癌。
いつも通り撫でていたらBB弾ほどのしこりを発見し、って感じ。
先代猫も同じ癌で看取った。
もう二度と嫌だと、今いる猫は変な病気につかまらず天寿を全うしてくれますようにとずっと願っていたのに、また…。
老衰で逝かせてやりたかったなぁ、
私が代わってあげたいなぁ、
ひょっとしたら誤診かもなぁ、
今は毎日こんなことを考えている。
ペットを飼う上で避けては通れないのが「看取り」という儀式。
この世の終わりかと思うくらい悲しい。
世界が灰色になるし、食べ物の味だって感じなくなる。
出来れば体験したくないけれど、飼い主の最重要義務でもある。
先代猫は安楽死を選択した。
顎にできた癌が憎らしいほど早く成長し、とっても綺麗だった顔が歪になり、水すらも飲めなくなった段階で安楽死をお願いした。
今になって思うのが、遅かったのではないかということ。
もっと早く、飲食を楽しめる段階で決断してやるべきだったのではないか、
生きて側にいてほしいという飼い主のワガママで苦しい時間を長引かせてしまったのではないか。
送り出してから早14年。
光が消えた瞬間の目を一度たりとも忘れたことはない。
そして、今回の癌告知。
まさか…と思った。
また同じ思いをするのかと、どうか老衰で穏やかな最期を迎えられますようにと子猫の頃から願っていたのに。
ただ、前回とは決定的に違うことがある。
二度と苦しい思いはさせまいと、飼い主が全てを引き受けると、腹を括っていることだ。
手のひらに乗るくらい小さかった愛猫は、いつの間にか16歳になっていた。
つい昨日拾ってきて、
夢中になってごはんを食べるから顔中ミルクだらけにして、
いたずらが大好きで床一面にティッシュを撒き散らして、
そして私にとってはいつまでも赤ちゃんだったはずなのに。
もう16歳だなんてなぁ。
「手術をすると自力で食事が出来なくなるけど、余命は半年まで延ばせるかもしれない」
「手術と麻酔にギリギリ耐えられるかもしれない」
先生にはこんなことを言われた。
検査結果が出るまでの10日間、それはそれは悩んだ。
髪の毛がぜーんぶ白髪になるんじゃないかってくらい悩んだ。
どんなかたちであれ生きててほしい
何があっても介護してあげたい
一秒でも長く一緒にいたい
自分のことだけを考えたらこんな感じ。
いなくなるなんて想像つかないし。
でも、先代猫が身をもって教えてくれたことがあるから、教訓を残していってくれたから、
検査結果が出て、正式に癌になった愛猫を前にして
「手術はしません。食べられるときに沢山好物食べさせて、痛くなる前に苦しくなる前に逝かせたいです」
結局これなんだよな、って決断をした。
今はまだすごーーく、こちらがびっくりするくらい元気だ。
本当に癌なのか…?と疑いたくなるほど。
健康に良くないからって禁止してた大好物のパンやらチーズを喜んで食べている。
小さいかけらを二つほどあげるだけなのだけど、やっぱり「あぁ~体によくないんだよなぁ…」と思ってしまう。
どうしても「健康で天寿を全うする猫」として見てしまう。
こうなってから、同じ病と闘っている飼い主さんのTwitterを覗かせてもらっている。
ひとりひとり、選んだ道は違えどみーんな悩んでいることに変わりない。
悩んで悩んで後悔して、また悩んで。
手術に挑む猫もいれば、胃瘻を作る猫もいる。
そして、飼い主はこれでよかったのかと悩む。
私の悩みも現在進行形。
逃げ出したいけど、絶対逃げてはいけなくて、
可愛い可愛い猫のため、全てを引き受ける覚悟だけは忘れずに、今日も自らに問い続ける。
これでいいのだろうか。