「性」事断片(0001)
田中香涯(1874-1944)という人の『増補三訂 医事断片』というテキストがある。
どこで見つけたのか忘れたのだが、コピーをとっていた。
テキストの発行は、「明治35年8月21日」であるので、西暦でいえば、1902年だ。日露戦争はまだ起きていない。(参考までに示しておくと、この年の12月にクラフト=エビング(1840-1902)が亡くなっている。)
目次でみると「精神病者としてのルーソー」というのがあったので、少し見てみた。
ルソー(1712-1778)の性格や行状を記述し、尋常ではない、その尋常でなさは、「狂者なる所以を示」すと論じ、こうした「狂漢の手に成りたる民約論一篇が仏国革命の源泉となり又た我邦維新後に於ける自由民権説の主因となりしを思へば誰れか茫然たらざるを得んや」と結論づけている。
ルソーその人や、その思想や、その思想に由来する社会運動に対して、ネガティブな評価を示している、といった感じだ。その評価の根底には、ルソーが「キチガイ(気違い)」である、という「事実」が置かれている。
それはいいのだが、重要に思えたのは、田中の論の出だしだ。
ルソーが「一種の色情狂」である、ということを、「森医学博士は明治二十二年の東京医事新誌上」で論じている、と「先行研究」に言及する。
田中は、森鷗外(1862-1922)がルソーを「露呈症Exhibition」および「被打症Passive Flagtion」と診たことを引用しているのだ。
重要性をどこに見ることができそうかといえば、第一に、森鷗外の論考、「ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス」を田中香涯は読んでいる、ということだ。
森の1889年の論考がどの程度の広がりを持ったのかについてははっきり言って不明である。しかし、田中香涯が引用しているということは、一定の広がりやそこへの注目があった、ということを示している。
第二に、森の論考を引用しつつ、田中はルソーを「一種の色情狂」ととしている点も注目に値する。「色情狂」概念は、日本語文化圏では、1891年4月に登場する。森の「ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス」はそれ以前に発表されたものであるので、「色情狂」概念以前のものだ。田中は、「色情狂」概念以前の業績(1889年)に対して、「色情狂」概念成立後(1891年以降)
に、「色情狂」概念をあてはめて再把握した(遅くとも1902年)、ということだろう。
第三に、田中は「色情狂」以外に「異常の情慾を発動」という記載形態を用いている。「異常の情慾」という概念を使っていると踏み込んで考えてもいいかもしれない。「性欲」「性慾」という概念が使われていないという点も関連してポイントとなるであろう。後に田中は『変態性慾』(1922年5月から1925年6月まで)という雑誌を主宰する(ほぼ単独執筆であった)が、本書が出た1902年段階では、「性欲」「性慾」概念を使用するという構えがなかった可能性がある。(本書をすべて精読したわけではなく、「精神病者としてのルーソー」という論考を見た限りではあるが。)
第四に、性的倒錯の2型に言及している点も大切かもしれない。あくまでも森鷗外からの引用ではあるが、「露呈症Exhibition」と「被打症Passive Flagtion」が取り上げられている。「露呈症」は現在では「露出症(露出障害)」と表現されるものとほぼ重なるであろう。「被打症」は現在は「マゾヒズム(またはマゾヒズム障害)」に組み込まれたか、組み込まれつつ消滅した観念である。
ということで、田中香涯の「精神病者としてのルーソー」について、コメントしてみた。
重要なのは、①森鷗外の論考「ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス」を先行研究と位置づけ引用している、②「色情狂」概念を使用し、その概念をルソーに適用している、③「異常の情慾」という概念も使用している(ただし「性欲」「性慾」概念は不在)、④性的倒錯(田中はこの概念は使っていない)の2形態、「露呈症」と「被打症」への言及がある、という点であろう。
残念なことは、「精神病者としてのルーソー」の初出がわからないことである。可能性としては大阪医学会の雑誌であるが、現在まで調べてはいない。