ドボトボ錯歩

本好き。トボトボ行く。

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1932年/京都:モダン京都の断面か(002)

「1932年/京都:モダン京都の断面か(001)」は、桑原静雄、のちの竹之内静雄の三高入学を冒頭において書き始めた。彼の三高入学は、1932年4月。入学式の日付はまだ調べていない。 1932年5月17日に、富士正晴が、桑原静雄と野間宏を竹内勝太郎の自宅へと連れていく。このことがきっかけで、富士、桑原、野間の三人は竹内とある種の師弟関係を結ぶことになり、その関係から1932年10月には、同人雑誌『三人』が生まれることになる。 『三人』は、1940年まで、20号刊行された。

    • 「性」事断片(0002)

      「「性」事断片」の「0001」で、田中香涯の著書『増補三訂 医事断片』(1902)に収録されている「精神病者としてのルーソー」を取り上げすこしコメントしてみた。 その時、「精神病者としてのルーソー」というテキストのポイントを4点あげた。①森鷗外の論考「ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス」を先行研究と位置づけ引用している、②「色情狂」概念を使用し、その概念をルソーに適用している、③「異常の情慾」という概念も使用している(ただし「性欲」「性慾」概念は不在)、④性的倒錯(田中はこの概念は使

      • 「性」事断片(0001)

        田中香涯(1874-1944)という人の『増補三訂 医事断片』というテキストがある。 どこで見つけたのか忘れたのだが、コピーをとっていた。 テキストの発行は、「明治35年8月21日」であるので、西暦でいえば、1902年だ。日露戦争はまだ起きていない。(参考までに示しておくと、この年の12月にクラフト=エビング(1840-1902)が亡くなっている。) 目次でみると「精神病者としてのルーソー」というのがあったので、少し見てみた。 ルソー(1712-1778)の性格や行状を記述

        • 1932年/京都:モダン京都の断面か(001)

          桑原静雄、のちの竹之内静雄が、三高に入学したのは、1932年(昭和7年)の4月であった。(84) 入学式などがいつあったのか、まだ調べていない。 桑原は、寮に入った。「自由寮」である。そこで野間宏と出会う。(329) 1932年5月17日、野間を介して知り合いになっていた富士正晴が、二人を、竹内勝太郎の自宅へ連れていく。 竹内の自宅は、浄土寺南田町173番地であったという。 地図で調べると、法然院のすぐ西、すぐ下である。また、戦後、1978年から2003年まで、「アトリエ・

        1932年/京都:モダン京都の断面か(002)

          方向性

          近代の社会、近代の文化、モダンな空気、モダンな風景、などについてトボトボと記述してみたいと思います。 たぶん日本が中心になるでしょう。 しかし、本についてや科学についてや思想についてや風俗についても、トボトボと見ていくかもしれません。 映画とか美術とか小説とか写真とか、にも、トボトボと向かいそうな感じです。