亡骸として生きていく【中】〜国粋主義者が日本語で見る夢、江藤淳著『近代以前』を読んで〜
タイトルの『亡骸(なきがら)として生きていく』は、まるで死人のように生きるということを言いたい。
体は既にこの世にないのだが、なんの因果かこの世にまだつながっている、しかし存在する理由が空っぽだ。
江藤の言葉に近づくと、ときにガランとした夜の長いいっぽん道にたどりつく。
ずっと真っ暗な、遠くの方でひとつだけ明滅する信号のあり、どことも知らず、オートバイで駆けてゆく、そんな心持ちになる。
著書『近代以前』の感想を続けたいが、その前に、江藤淳と鈴木大拙を並べる。
江藤と大拙は真逆の歴史観を持っている。江藤が平安時代の情緒を語れば、大拙はそれを真っ向から否定している。また、江藤は仏教と武家文化を嫌うが、大拙は仏教や武家文化こそ“日本的”を世界に誇るものだと主張する。
「歴史」とは今ここからの“問い立て”に過ぎないと思うが、どこまで己(主観)なのかと疑いたくなる。だが、この二人の違いに興味がそそられる。
大拙は“霊性”なるものを経験するようで、彼によれば、霊性は精神と物質の二元的世界を相克し、心と物の奥にはたらく「一」なるもので、自我を超越する“無分別な智”である。そして、霊性の覚醒は個人的な経験でかつ具体性に富むものらしい。
霊性の道程は“彼岸”への憧憬に関わるようだ。
大拙は真の宗教は浄土系思想と禅であり、それは日本的霊性の純粋な姿であって、日本的霊性の情性方面に顕現したのが浄土系的経験で、知性方面に出現したのが「日本人の生活の禅化」とみている。
さらに“霊性”について言及すれば、霊性の息吹きが取り交わされたのは鎌倉時代で、霊性が覚醒したこの時代に、初めて民族と※大地(=生命の真実)の関係が緊密となり、それが武士階級の生活に根をおろすことで禅が芽生え、絶対他力を特質とする法然や親鸞の宗教が崛起(くっき)したという。
※《大地》については下に『日本的霊性』から文章を引用する。
大宮人はすぐ泣く、何かというと袖を濡らす。平安時代の文化は無闇に感傷的で、感情的審美観に支えられた観念的遊戯に過ぎないと大拙は切って捨てる。
そして、涙もろい平安朝の弱虫公家どもの文化(歌や物語・日記など)に学ぶもは何もなく、取り柄もないから、そんなものが日本の精神を代表しては困るというのだ。
歴史の解釈において真逆ではあるが、江藤も大拙もともに「日本」という一つの卓を囲むことには変わりがない。
二人は卓の対面(といめん)に席を陣取り、大陸の端っこにこびりついている孤島をめぐって互いを睨みあっている。
さらに根本的に“違う”と感じることがあるのなら、両者の意思の叫び、思想の発露が、大拙はある種の“情意”からで、江藤は底の知れない“孤独”からではないかということだ。
念仏で救われるなど、江藤の手のひらに発する孤独の質量にくらべれば、なんと虚(うつ)ろな、また呑気な“まやかし”に聞こえるだろう。
また、江藤を俗世に繋ぎとめる引力は、彼岸に救いを求める人の“さもしい心”を曝け出させるようでもある。
江藤にとって『彼岸』は何かの比喩としてすら存在し得ない。『現実の社会』に生きるという夢のほか、彼が夢想するものは何もないのだから。
※鈴木大拙の《大地》について。
人は《大地》と交錯して親しむことで“生命の真実”を知り、霊性は《大地》に根をおろし自分と一つになることで宗教的人格が実現すると大拙は考える。
また、地方に地盤をもち直接農民と交渉していた武士が、四百年の栄華を誇った大宮人を屈服させたのも、この日本的霊性の《大地性》なのだと言う。