旅、三日目の夜
風の音を聞く静かな夜。振り返る時間はたくさんある。
この地(熊野)を訪れたたのは「熊野本宮大社」へのお礼参りが大きな目的だった。先日の交通事故の折、バイクの前輪は大きな衝撃を受け湾曲したが、その屈強な“鉄カブ”の前輪には「熊野本宮大社」のステッカーが貼ってあった。
大きな事故だったが、前輪が衝撃を受けとめてくれ、体に損傷(その場での骨折や内臓の出血)はなかった。その礼がしたかった。
ご存知の通り「台風10号」の接近で天候が悪い、悪いを通り越してバイク乗りには最悪の状態だ。
今朝も出発から雨カッパを装着し、痛い雨がわんさと降り、降ったかと思えば一瞬の晴天、しつこいくらい短時間にこの繰り返しだ。いつまで走っても『丁度ええ』状態にならない。長いトンネルは、ヒンヤリして、濡れた体が凍えるし…。
二丁拳銃の『丁度ええ』漫才のネタを思い出し気を紛らわせた。
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大発見→ツチノコ
中発見→弥生式土器
小発見→あっ、こんなとこにコンビニできたんや
「丁度ええ!」小発見、コンビニ、丁度ええでしょう。
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なかなかバイクを停めて景色を眺めることはできなかったが、それでも山も海も堪能した。運転しながら何度も深呼吸して身体中の空気を入れ替えた。
極上のラーメンにも出会えた、それも閉店寸前に。那智の滝も見た、そして宿をとった白浜では、晩飯に地元の居酒屋でちょっとした贅沢をした。
『明日は明日にまかせる』のがいい。台風に注意して無理はせず、ただ大阪方面に向かう、それ以外決めていない。
旅に出て両手が空くと、生きていて“何がないからダメ”ということはないような気がしてくる。自分の可能性は自分が狭めるんじゃないかと疑いたくなる。
考え方ひとつ、見る角度を少し変えれば、いくらでも良くなる事や新しい発見があるのに、『きっとできない』と決めつけたり『条件が悪い』とか『ルールだから』とか、なにかを他人のせいにして押し付け合い可能性の芽を摘む。損得勘定で作り上げられた制度に縛られ、可能性の広がりに目を背けてしまう。
何事ももう少し“やんちゃ”にやっていいのではないか。自分を狭いほうに押し込まず広い方へ、そして思い切って舵を切る。それは良い意味で身の丈に合った行動ではないだろうか。