![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171513473/rectangle_large_type_2_4c5fc801004aceab75f15749ddbc72d3.png?width=1200)
亡骸として生きていく【下1/2】〜国粋主義者が日本語で見る夢、江藤淳著『近代以前』を読んで〜
(作家は)彼自身の悲哀や憤り、あるいは歓喜やこっけいさを時間の暴威から救い出すために_時間の束縛をのがれた内面の声によって語るために、生きているのである。
「二十四ページのここで引き込まれたな。探していたものが言語化されてるって思った…。」
赤線を引いたところを強く指で押さえながら己(おれ)は君に言う。
それは共感のきっかけとなる箇所だった。この本が何を語るものであろうと、この表現の繊細さを見逃すわけにはいかない。
江藤は作家をどのように読むのだろうか。
しかもそれ(日本語)は虚体であって実体ではない。ということは、私はそれを自分の呼吸のようなものとして、あたかも呼吸が自分の生存と存在の芯に結びついているように自分の存在の核心にあるものとして、信じるほかないということだ。
「日本語=呼吸のようなもの」はこの本を貫くモチーフだ、そして“自分”という存在の核心に結びつく言葉(日本語)は、自分の思考が形をなすまえの淵にすでに澱(よど)んでいる。江藤はそれを“沈黙の言語”と表現する。
その沈黙は「日本語が作りあげて来た文化の堆積につながる回路」の役割をはたす。江藤の読みとは、その回路をつたい作家(死者)たちの言葉(呼吸/息づき)を身のうちに取り込み響かせることだ。
そこでは「外来的要素を次々と消去してみてもなお残る、沖縄方言以外に証明可能な同族語を持たぬとされている特異な孤立言語である」日本語が、作家(死者)たちと江藤を繋ぐ紐帯となるらしい。
(死者)近松門左衛門は、武士の不定住、流民性が、林羅山をはじめとする林家の儒者たちの価値転換によって一掃された江戸期に、時代の落伍者、隠者として生きた反社会的な人物で、江藤は、この近松の浄瑠璃、ことに『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』の三熊野かげろふ姿の“道行(みちゆき)の構造”に、仏教伝来以前の日本人の記憶に秘められる常世(とこよ)の国への信仰を読み解いている。
熊野という虚実皮膜の間にある国への尊崇が、海を渡って来た移住者を祖先に持つ日本人の、本来の故郷を求める現実離脱の衝動の深層部に横たわるという。
それが近松という作者の呼吸と不可分の詞章で語られる以上、これは明らかに文学であるが、この文学は同時に熊野信仰という土俗に接し、そのことによって文学以前の過去と和弦を奏してもいる。そして、この土俗的要素の導入は、明らかにこの作品の演劇的空間をひろげるのに役立っている。〔…〕(土俗的要素は)舞台の空間をひろげると同時に、われわれの意識の深層にひそむ記憶を喚起して、日常生活のあいだに忘れかけてる存在の根をゆすぶる要素である。
(死者)井原西鶴の浮世には、近松の“道行の構造”にみられるような宗教的彼岸性がない。そもそも西鶴が儒学的な「公」的価値に関心がなく、現実の世界から非現実の世界への転位としての浮世は、西鶴の「私」的な世界であり、他界の実在性を信じない西鶴のリアリズムであると江藤はいう。
(死者)上田秋成の『胆大小心録』の“狐”もまた朱子学の合理的な世界像を逸脱している。
しかし、秋成を『雨月物語』の作者へと転身させた“狐”は、秋成の自我と自意識の閉ざされた個人の葛藤と彼自身の内面が、その底に一尾の“狐”を棲息させた孤独な個人に現れており、秋成に“狐”が実在以上に濃密な実在感を持つ非実在であるのは、彼の近代的な精神性に依拠すると江藤は考察する。
日本文学の特性というものがあるとすれば、それは多分こういう(朱子学的秩序から)とり残された階層の反撥によって嫉妬深く守られたのである。その怨恨の底にあったのが何であったかを、私は正確に指摘することができない。しかし、それはおそらく自然な呼吸を乱されることへの不満というようなものであったにちがいない。〔…〕人は言葉という虚体を活かしている呼吸_その呼吸を息づかせている深い情緒を捨てることはできない。それを守ることは自分の存在の核心を守ることであり、「こころ」を守ることであった。そして、この「こころ」の息づきを欠いているとき、文藝は文藝にならないものと感じられた。
しかし、呼吸を乱され“怨恨”に身悶える者(/死者)たちには居場所が与えられる。
それ(遊芸人の定着化)と時を一にして、女歌舞伎は遊郭の遊女になり、若衆歌舞伎はやがて前髪を落として「野郎」姿に変わり、今日の歌舞伎役者のもとをきずいていたのである。これは、いわば、流民が流民的価値を持ちつづけたまま、日常的な社会から「隔離」される_つまり「河原者」、あるいは「女郎」という位置に規定される_というかたちで、江戸時代の社会秩序のなかに席をあたえられるということを意味した。
これは、いいかえれば、日常的・倫理的な社会の裏側に、性的・反倫理的(宗教的)な反・社会が存在することを、制度として認めることである。〔…〕江戸の幕府は、かならずしもこの流民の反・社会を正・社会に直して支配しようという清教徒的な態度をとりはしなかった。
江藤は日本語を信じる。そして、日本語の文芸の独自性とは結局言葉_日本語という言葉と自分とのわかちがたい結びつきの自覚に見い出されると確信している。
彼は問う、自分とは果たして何者であり、どこに、誰に属しているかということを、そして、自らの手で己の自己証明書を発行する。
歴史には、つねに現存しながらしかも完結して不在だという、まぎらわしい性格がつきまとう。歴史をとらえるということは、この完結の相と現存の相とをともに同時にとらえることである。それは、あるいは、言葉を文字と発語との二面からとらえることに通じるかも知れない。文字は定着させ、客観化させ、完結させるものであり、言葉を発語させる呼吸は流動し、主体の存在と不可分であり、生命が存続するあいだくりかえされるものだからである。
「乾いた砂に水が沁むみたいに言葉が入ってくるし、もうこの思想とのパースペクティブを意識せんかったら、己に成り立たんもんもあるんとちゃうかなぁ。」
友人と駅のホームに列車がすべりこむのを待ちながら、己はこの本について語りかけている。
そして君は、甦生された死者たちが、虚ろな体に多量の血を流し込まれ震える亡者たちが、その列車に乗っていることを知っている。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171514631/picture_pc_16c4eee5a3ad57852069ed2ffd920472.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171514623/picture_pc_ee90b1f1ab77a4889999cd7a13718bbc.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171514630/picture_pc_24d6f46e24228fbd62619115c70e74fc.png?width=1200)