2025/1/11 舞台『1925→2025』
2025年の舞台観劇初めでした。今年こそ、毎月一作品を目標にいろんな劇場へ足を運んで、自分の感受性を豊かにできればなと思ってます。
前置きは簡単に、今回は舞台:『1925→2025』の感想Noteとなります。
1.1925→2025について
1月に公演している舞台をいろいろ探している中で、一番イントロに惹かれたのがこの作品でした。
概要・あらすじ
2.観劇した感想
しっかり心の底から揺さぶられました、、、お芝居の導入がそれっぽいものではないものの、気づけば主人公の葉子による歌と踊りが始まるといった感じでどんどん進んでいきました。
タイムリープものが苦手な自分としては、序中盤ぐらいまでは物語がどう進んでいて、どことどこが繋がっているの??という感覚でした。ただ、中盤以降で主人公が自分が元々いた世界(夫と子供たちが待つ世界)に帰ろうとする場面あたりからようやくしっかり観劇することができました。
特に突き刺さったのは、「人間らしさ」や「自分とはなにか」といった自分というフィルターを通した先にある人間そのものをどういう風に感じるかを
議題として目の前に広げられたようなそんな感覚でした。
特に痺れたのは、若者たちが飛び降り自殺を図る人に対して応援と歓声を上げながらそれを見て幸福感に浸るシーンで発せられた「明日を生きるのが怖い」という言葉でした。人間にとっての究極の選択の一つである「生きるか死ぬか」という二択。その中で、「生きる」という選択をしつつもその先に見える明日には光が見えないため、「怖い」という負の感情が芽生えてえしまう。それと相反するように主人公の葉子は、幸せな家族とともに不自由なく自分の人生を謳歌している。そんな彼女にとって、明日への絶望・未来への恐怖は当然理解しがたい感情である一方で、若者たちにとっても自分たちの行動を何がなんでも引き止めようとする主人公の行動は理解不能だったように思う。それぞれの人生観・引いてはそれぞれの俳優が演じることで映し出される各年代。生きるとは何か、自分とは何か、幸せとは何かをグッと考えさせられるシーンだと感じました。
昔とは大きく異なり、スマホはもちろんインターネットが当たり前となった現代において、こうやって一度立ち止まって深く考えることがどれほど贅沢で貴重なものなのかを痛感するような舞台でした。
誰でも簡単に好きな情報・モノをいつでも手に入れることができる現代。情報はもはや数えきれないほど無数に存在している上、インターネット側も昔からはるかに進化しているため、自分に興味がありそうなモノはどんどんオススメとして表示してくる。そんな情報過多の中で、注意深く情報を取捨選択し、自分の人生の選択肢を豊かにしながら過ごしたいなと感じました。
2025年最初にこの舞台に出会え、観劇できたことを嬉しく思います。
今年も自分にいろんな目標を設定したんですが、時々立ち止まって自分についてもあれこれ考えながら進んでいきたいなと思ってます。