●怒りんぼくんと泣き虫ちゃん②
『選んだ人は愛し抜け』
選んだ人は愛し抜け
披露宴の寄せ書きで
直球の言葉を書いたのは今は亡き父。
物静かで照れ屋だった父からは想像つかない。
だが、母を心底愛した父の生き様そのものだ。
大学生の頃、夜中に酷い腹痛を起こし父の車で救急外来へ行った事がある。
玄関で脂汗を流し倒れこんだ私に
「ほら」と痩せた背中を差し出し、しゃがんだ父。
私を背負ってくれるというの?
父と私は恐らく同じくらいの重さだ。
私を背負い、立ち上がった父は一瞬よろけた。
ごめん、お父さん、前におぶさっていた頃から
色んなことをしてしまったよ。
父の骨ばった肩につかまり、涙がポロポロとこぼれた。
私はそんな父を裏切ることは出来ない。
その父が愛する母の披露宴での幸せ絶頂な笑顔も。
*
『成田離婚』
そんな言葉が世間を賑わせていた。
成田離婚(なりたりこん)とは、結婚したての男女が新婚旅行を機に離婚することをいう。1990年代から使われた語。現在でいう「スピード離婚」の1つで、日本において当時多くの国際便が発着していた成田空港の名をとってそう呼ばれる。
概説[編集]
新婚カップルが新婚旅行直後の成田空港への到着の後に離婚してしまうことをいう[1]。理由は些細なトラブルからのお互いの関係の悪化、もしくは結婚相手としての適性の再検討など。
バブル景気当時は未婚女性が海外旅行を楽しむ機会が多くなった。一方、男性には海外渡航経験が少ない傾向があった。日本では立派に見えた夫が、慣れない海外でトラブルの際などに適切な行動ができなかったことなどが原因で口論に。結果、離婚に至ったというケースが多いとも説明された。
(※Wikipediaより一部抜粋)
頭を過ぎらないわけではなかったが、私にはもちろんそれをする勇気もなかった。
*
私たちを守ってくれる物事は多くあった。
時代が未だふわふわとしていて、新婚旅行のグループの半分くらいは証券会社勤めの旦那様だった。
我が家はというと、家事分担で衝突はあったが、当時はASDなどという言葉も無く、違和感を持ちながらも、典型的な昭和の男(男は外で働き、女は家を守る。外で働くなら家の事はおろそかにするな)なんだ、そのように思い込んでいた。
仕事も財布も別々。私は出張も多かった。夫のその間の食事は自分で済ませて欲しかったが、二世帯住宅だった為、義母に頼りきりだった事がとても嫌だった事を覚えている。
私が、もう世帯が違うのだからあなた一人で食べてくれない?と言っても、
「どうして?だって、一緒の家に居るのに変じゃない」
と、全く私の気持ちがわからないのだ。
それ以上話そうとすると、嫌がり
「俺は疲れて居るんだ。もう話したくない」と強制終了。
こういうのが違和感だった。
*
ふわり、ふわり…口の狭い透明なビンの上から何かがゆっくりと落ちてくる。
羽?花びら?ホコリ?
それは一つ水に浸かるとゆるゆると沈んでゆき、底に落ち着いた。
(続く)
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