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読書感想『リラの花咲くけものみち』藤岡陽子
本日読了。
この本を食べ物に例えるならば、気軽に読めて、楽しくドキドキするような、口当たりの良いお菓子ではない。
これは白米、しっかり咀嚼が必要な生きていくために不可欠な食べ物のようだと感じた。
明日を生きてくためのエネルギーを与えてくるような、鼓舞に満ちている。
この小説は、親からネグレクトを受けた孤独な少女・聡里(さとり)が、獣医師を目指す中で、生きてゆく力強さを身に付け、自分の居場所を見つける物語。
この小説が「お菓子ではない」と感じたのが、主人公が獣医学を学ぶ過程で、命のあり方について迷い葛藤するところだ。
獣医師の仕事は、動物の命を救うだけではない。
命の選択を迫られるときに、苦渋の選択をしなければならない時もある。
牛や馬などの経済動物と、犬や猫などの愛玩動物の命の重みの違いについても主人公は考える。
あるアーティストが、「動物が好きだから、かわいそうだから、菜食主義になった」という話をしていた。
この話を聞いた時、わたしは、なんだかしっくりこなかった。
納得できないような複雑な気持ちになった。
経済動物は、畜産業者の生活の糧だ。その人たちの生活はどうなるのか。
それは、現在の気候変動についての議論にも言える。
牛のゲップがなくなれば二酸化炭素排出量が減るから、牧畜を減らすべきだという意見は、あまりにも物事を単純化しすぎているのではないだろうか。物語の中で、アイヌ民族のカムイの考え方が出てくる。
人間に都合のいい考え方と言われればそれまでなのだけど、わたしは「動物の死は、この世での役目を終えて神の世界に帰る」という、この考え方がしっくりと納得できた。
わたしは、大学4回生の夏休みに北海道・別海町の牧場へ1ヶ月間、酪農のアルバイトに行ったことがある。
この小説を読みながら、その時のことを思い出していた。
赤ちゃんの子牛がとてもかわいかったこと、気の荒い牛に足の指を踏まれて骨折したこと、獣医師の直腸検査を初めて見て驚いたこと、そして、子牛の死産−。それは、早産でまだ毛も生えていない状態だった。
お気楽に生きてきたわたしが、初めて見た生々しい「死」だった。
生きていくのは、楽しいことばかりではないと思う。
その中で、長く時間をかけて取り組んできたことだけが、長く残り、その人を強くする。
人は、強く、たくましく生きてゆける、という前向きなメッセージに溢れていると感じた。