信じること、育てること
育つことを信じるということは
本当に難しい
何度も上手くいかない経験をしたこともあって
「育つって信じよう」と言われても
ちょっとどうかなあ、というのが本心
そもそも、どう育つかは本人のものだし
こちらの思い通りにはならないとわかっているので
盲目的に「信じて育てよう」と言われてもなあ
という思いなのである
結果、上手くいかないときには
「育て方が悪かった」と言われるのは勘弁だし
子育てだって、親の思い通りに育っている人は一人もいないのだから
その事実を受け止めずに
「育て方が悪かった」とは、言わないでほしい
こちらの思う通りには育たない
けれど、それぞれの育ちは進んでいく
本当にその人のためになる育ちを助けるのか
組織に役立つ資源を育てるのか
その狭間で、いつも悩む
その人らしく、自分の人生を生きていくのであれば
道が違っても良しと思う
けれど経営者や管理者は、時間と労力のリターンがなければ
上手く育ってくれたとは理解しない
立場と役割による目指すものの違いは
いつも自分を苦しめる
思い通りには育たないよ
けれど、地域を支える人材としては独り立ちできるようになるかもしれない
今までも、育てては離れ、育てては巣立たれていったけれど
それでも毎日、一生懸命考えて、やる
これが、先を生きるものの役割だから