「命」のこと、大切なこと。

閲覧してくださってありがとうございます。

☆前書き☆
これは書き手が感じたこと、学んだこと、体験したことなどを通して皆様にシェアしたいなと思ったことを書き綴っていく場所として使わせて頂いてます。
その中では間違ったこともあるかもしれません。もし発見された方は良ければコメント等で教えて頂けたら大変嬉しいです。よろしくお願い致します。


書き手は小学6年の頃には既に「死とは何か」を考えていたように思う。
今ぼんやり思い出すだけでもその時には既にそんなことを考えていたから、もしかしたらその前に既にそのことは考えていたかもしれないが。
所謂、自傷行為を小さいながらしていたな、なんて今思うと苦笑しか出てこないのだが、それはさておき。
基本的には「死」というものはあまり身近にはないのかもしれない。
考えることもあまりないのかもしれない。
だが書き手は大分幼い頃からそんなことを考えていた。一番強くなったのは祖母が病死したから、というのもあるかもしれないが。

「死」と「生」は相反しているようにも思う。まあ一番対局に位置しているだろう。書き手は割と、その境目を行ったり来たり…間近に感じていた。
そして高校から大学…社会人になっても暫く、十数年くらいはどちらかというと常に隣に「死」を感じていた。
まあ要するに、「希死概念」を持っていたわけである。
まだ若いのに、と自分でも思うが、人生…生きる、そういったことに疲れてしまっている状態であった。今現在もたまにそちらに引きずられることもあったりしてしまう訳だが。

内に秘めれば自傷や自殺、外へ向けば…ヘタすれば事件になる。
自暴自棄になった人間は何をするかわからない。
書き手も海に沈むか、なんて思考になって海へ行ったりもした。結果は沈まなかったし、入りもしなかった。
ある意味できちんと「助けて」とコールしたこともあるのだが。
人は一人で生きられないが、一人になったとしても死ねやしない。基本的には。
自殺だって基本的には死ねない。苦しいだけで、痛いだけで。
病院の先生が言っていたことをお伝えしているが。
生まれて来たからには、生きるために生まれてきている。ましてや人間として、更には今居る場所で生まれてきているその確率は宝くじが高額当選…1等が連続で複数回当たる確率と同じなのだとか。
ということを考えると、やはりその命こそが奇跡としか言いようがないのが事実であるが……そうはいっても、という所がかなり渦巻いている。

批判、批評、落とし、貶し、マウントを取り……
全ての人が、ではないがある程度の人が親から、または関わりある者たちからそういった環境で育ってきたのではないだろうか。
今思えば親自身もそのまた親からそのような環境で育ったのだな、、なんて思うところもあるが。
とはいえ、何故かそれは受け継がれ、伝染していっている。
止めるためには自身が気付き、やめると決め、変えていくしかない。
変えることは出来るのだ。
何度でも言うが、気付いて辞めると決め変えていけば、変わっていくことができるのだ。
気付かない人間はそれを繰り返す。DVや暴言、暴力…そういったものも。

赤ん坊は何も考えない。無垢なその命は誰もが誰かの手を借りて育つ。
ある程度育つまではそうやって手が掛けられて育つのに、ヘタすると「教育」が終わった途端に「じゃああとは自分が好きなように」 と放り出される感覚…書き手はそんな心地であった。
ちなみに書き手は6年前に両親をほぼ同時期に立て続けに亡くしている。その時もそう思ったものだった。縛り付けられていたことが一気に解放されてしまった気分、まるで迷子にでもなった気分だった。
もしかしたら今もまだたまに。

命は本来生きようとしている。
そして自然体でいられればその方が自然と、そしてもっと自由に生きることができる。
だというのに、人は縛られる。自分で、または他人から。自分から自由を得ることも出来るのに、自分から枠にハマろうとする。そんな性質があるのではないかと思う。専門家ではないので詳しいことは言えないのだが。

心理カウンセラーの友人から聞いた話だが・・・
人というのは力を抜いて、楽にした状態でなければ最大のパフォーマンスは出来ないのだと。そんなことを言っていた。リラックスして、自然体で。それでこそ本来の力を100パーセント発揮できる。と。
柵にあえて突っ込んでいるのは自分なのかもしれなかった。

人はいつだって変わることが出来る。
書き手は昨年、5月くらいにある出逢いをして、講座を受け、そうして半年経つか経たないかくらいの時に「初めて会った時とは全く違う!変わったね!!」ととても言われたものである。
余談だが書き手はこれからまだまだ変化変容する。それは書き手はそう決めていることでもあるから。決めさえすればそう動く。覚悟があれば変わっていく。
書き手は半年くらいでそんなことを言われたが…早い人はもっと早く、ゆっくりな人はもっとゆっくり変化できる。
マイペースが大事なのだろう。
そのマイペースに振り回されているからこそ、恐らく引き寄せの法則を実感できていないのでは、と最近思ったりもする。

毎日毎日懸命に生きている。
何をしていても、していなくても。
生きることがまずある意味で結構な労働なのだなと思わずにいられない。
病気で、怪我で、動けなくなった時健康なあの時がどれだけ恵まれていたことだったか、幸せなことだったのか思ったりしないだろうか。
小さな幸せを毎日感じること…「当たり前」をそうとせずに「有難い」…有ることが難しいことなのだと思える人が、恐らく「本当の幸せ」で生きている者なのではないかと書き手は思う。
そういう意味では……書き手もまだまだその概念には至れていない。
ただ、書き手は色々経験してきた上で段々とそちらへ向かうようになっているししている、と思う。

書き手は昔から「自分がやらなきゃ」という気持ちで突き動かされてきた。
自分がしっかりしなければ、とかいうことを始め、自分が背負い込みがちであるなと気付いたのは本当に最近である。
要領がいい人というのは自分のキャパシティをある程度把握した上で、適材適所に仕事…ではなくとも、割り振れる人の事を指すように思う。そして客観的に見れば、それが一番効率がいいこともまたわかる。
全て自分一人でやろうとすることこそがおこがましく、傲慢であった。。
人は一人では生きられない。そもそも一人しかいなければ生まれない。
誰かがいるからこそたくさんの化学変化が起こる。
一人でいることはある意味で勿体ないことかもしれない。

時間は有限である。
明日何が起こるかわからない。
明日もあると思えるから、自分の外にあることもやりたがる。
だが…明日、ないしは一秒後、数十分後、数時間後に消えるかもしれない命と思ったら…何をするだろうか。
書き手は常にそんなことを考えさせられているような気持ちを持っている。

そして、自分の外にあるもの…仕事、友人、趣味、家事、パートナー……
その他諸々。
そういったものに振り回されるよりも前に、まず自分自身がどうしたら自分で満たせるのか。その土台をしっかり作ったうえで自分の外にあるものをやる方が、実は純粋にそれらを楽しめるのではないだろうかと思わずにいられない。

一言で満たされること というと、よく聞くのは「自分の好きなことをやる」とか「楽しいことをやる」とか「心地いいことをやる」ことではないだろうか。
確かにそうなのだが。そういうことってもっと砕いて言うと「ほっとする」とか「気持ちが楽になる」とかそういうことではないだろうか。
寒い冬に温かな布団にくるまったり炬燵に入ったりお風呂に入ったりしてじんわり温まる…そんなひとときだったり、そういうことであったりするなと書き手は思う。
そういう所から自分を満たしていければ、それが自分を癒すことにも繋がり、結果命をもっとしっかり完全燃焼させて毎日生きることが出来ることにつながるのではないかと思っている。

いただきます ごちそうさま
そういう言葉を書き手は最近忘れていた。
だが某動画サイトのとある動画で、命を頂く…その動画では鶏肉であったが、を捌く時、当然その命を奪う必要があるわけだが。その時抱きしめて、愛を持って会話するとすっと悟ったような目になって大人しく首を差し出すような動きをするのだということを聞いた。
更に別の動画では命を頂くことこそが循環であり、取りすぎてもいけない、その種を少しでも大地へ還元しまた新しい命を育めば豊かさが続く、というようなことを聞いた。
言葉だけでは、と思うかもしれないが、案外言葉は大事で。
発すればそれは自分が一番聞いている。
だからこそ、言い続ければそれが真実になる。
某漫画の彼女ではないけれど。

そして書き手は今年以降「循環」させることをテーマとした。
お金も、愛も。
循環させていく。
ああつながるな、と思った。
ぜひとも、そういう良い循環が出来る人が増えたらいいなと思う。

自殺大国…自殺するなんて極端に言うならば「勿体ない」。
命はもっと使いようがある。
それが、まあ大分書き手も疎んじてきたりしてしまった訳だが…。
そんな経験もした奴が思う。
勿論、自分の命もまた使いようがあると思って生きていく。

ある意味で人間は皆誰かに生かされている。
それは目に見える存在だけではなくて、恐らく目に見えない存在にすらも。
日本という国はあらゆるものに意味を見出し、「神」と祀る事が出来る者たちであるからこそ、生かされていることすら「有難い」のだなと今となっては書き手も思わずにいられない。

藻掻き続けるからこそ溺れていく。
力を抜けばすっと浮けることもきっと本能は知っている。
抗っているのは己自身。
では……何故抗っているのだろうか。
書き手も自身の深いところに聞いてみたいと思う。


命の話は賛否もあるかもしれない。
忌避するかもしれない。
批判もあるかもしれない。
ただこれは、そういった自分なりの生死の境目を漂い続け、抗う書き手が思ったことに過ぎない。

自分に自分を助ける力があるのだと証明して。
そしてそれをシェアしていけたらいいなと思っている。

何か気付きがありましたら幸いです。
お読みいただきありがとうございました。

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