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柔らかくてふわふわの毛布と暮らしたい

新しい価値観とか、新しいことがわたしの身体に入ってくる。


そうなると古くなったいらないものは、自然と出ていく気がしていて

それは良くも悪くもなんだけど、

過去の記憶は少しずつなくなって、悲しい過去もそうだし、楽しかったこともそうだし。

でもずうっと過去を見て生きてはいけないので、逆にいえば過去は手放してもよいので。


そういう新しいもので次のわたしがつくられていくんだなと思ってる。



この、PCを叩くわたしの指は昨日のわたしの指ではなくて、

新しい本を手にした後のわたしの指。

コーヒーの中に浮かぶ花火を体験した後の指。


この爪も口も、目も、耳も。

全部過去のわたしのものではない。

みんな今のわたしのもの。


今のわたしの身体は、それに耐えられなかった頃とはもう違っていて、

当時のわたしの耳よりも多分頑丈で
あの頃のおへそよりももっと素直だと思う。


手放していいというか、もう既に生まれ変わってるんじゃないか。

わたしがわたしに鈍感だっただけなんじゃないか。




わたしが望む新しさは、どこか古めかしいものが多い。

新しすぎるものは違うんだと思う。


どこかに過去が見える、古いものに再度出会うとか、過去大事だったものにもう一度辿り着くとか

新しいはずなのになぜか懐かしいとか。


そこには新しいことを知るドキドキする気持ちと、懐かしさからくる落ち着くな、という気持ちが共存している。


苦しみや不安が消えることはないのだけど、それを覆い隠すくらい大きいふわふわした毛布を常備していられたらいいなと思う。

毛布にくるまっていれば安心、みたいな。


これは物理的な話なんだけど、

わたしは昔(今でもちょっとあるけど)毛布が大好きで、どこに行くにもブランケット持参だったの。

ジェラピケのたためるひざ掛け。

少し不安感のあるときにその毛布をぎゅっと掴んでると安心できて、出かける時も部屋にいても毛布常備だった。

今はもうないのだけど。



今後わたしの精神的毛布は自分でつくるのか、旅の中で見つかるものなのか。毛布欲しいなあ。

ではでは〜

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