色々を語る

今日は少し時間があるのでこの日々を語れるようになった。意味なんてない、ただの意識の流れだけだ。冒頭はない、結末もない。この最近の気持ちを記したい。

やっと卒業した。実は十月十日卒業論文を送ったのだけど、十一月十八日だけ卒業式があった。論文を書いている期間は辛かった、誰かもう知っているはずだけど、この短い人生の最も辛い期間だった。なぜかというと、論文と最後の大学試験以外に、家族の責任すら全て私の肩にかかっていたから。

大学の町から地元に帰ってきたときからメンタルヘルスが低下してきた。ここにいるのは本当にうんざりしただけでなく、身体上健康が悪くなってきたというのにも気付いた。眠れない夜が重なっているし、死にたいと思う日々が並んでいる。幻想じゃない、最近の血液検査の結果から現れている。でもこれでもいい。もう数ヶ月だけこのままで生き続けなくてはいけない。頑張り続く意欲さえあればここで暮らせる。この場所に去る日が近づいていると思うから。

先週の水曜日久しぶりにヴェネツィアに戻っていった。母と友達の二人もついてきた。この二人は物心について以来母の友達なんだけど、家族に近い存在というか。必要なとき、私のために極端に走ることが多かったんだ。彼女らに心から感謝しきれない。地元からヴェネツィアまで車でほぼ五時間かかった。あの二人と一緒に行くというのは話したり笑ったりラジオを聴きながら大声で歌ったりしてしまうという意味。この二人も行ってきたのは本当によかった。幸せが溢れていた。

しかし、水曜日の夜、晩御飯を食べた後には、母が寝ている間に私は理由なしで泣き始めた。多分、大学二年生時代のルームメイトは連絡して長くてエモいメールを書いてくれたのは泣き出してしまったきっかけだったかもしれない。多分、今までの全てが終わっていくのに気付いたから。多分、この今までいた人、この今までできた経験、この今まで陽気な日々が戻らないということが分かって、この全てを放したくないから。

私、自分で遠く生きるには整っているの?まだ知らない。何も知らない。知らないのが怖い。母に離れるのはどんなに苦しいんだろうかな。母との関係はいつも一番難しいだった。全然違う性格は戦い合うしかできないし、余儀なくお互いに傷つき合うというのは事実だ。辛いのは、母にこの家族の状況を預けてしまうこと。ここにいるのが嫌いでも残った方がいいか?心の道二沿っていったらクソわがままになるかな。
全てをここで残して置いたらやましいだろう。何をしたらいい?これからどこへ行ったらいい?夢の中でも悩んでいる。

でもやっぱり、大学に行く前にもこの気持ちが胸を満たしていた。終わりがいつも怖いね。本当は怖いのは終わりじゃなく、始まりというか。だが、心配とか将来への不安の他にはどうにか興奮もあると思う。一つだけの場所にいられないとか、退屈が嫌いとか、自分の存在の意味を求めている人として、出来るだけ遠くへ行きたい。

この頃たくさんの人といっぱい話す機会があって本当に嬉しかった。丁度昨日公園へ詩を書きに行って、そこでめっちゃ可愛い子とそのお母さんが話しかけてくれた。彼女らはシチリア島出身なんだけど、毎年のように移動した。トラパ二都からシエナまで、そこからファーノまで、そこからこっちまで。お父さんが警察なので、せっかく全国の職場に移籍されることになっているのに、優しくしてくれた人に愛着が湧かない意味がないって言ってくれた。だって、いつか離れても、なぜ愛を諦めるべきなのか?子が遊んでいるうちに、お母さんと喋って、彼女が心を打ったことを言った。各場所が彼女に形作ったってこと。出会った人も失った人も。やっぱり、出会った人のことを失うことはないってこと。あの人にあげたことともらったこと、心を込めた限り、全ては残る。

全ては残る。失恋と、希望と、友好と。いい人と、悪い人と。まだそばにいる人と、消えた人と。

先日、毎日通っていたヴェネツィアの道を歩きながら、またまた愛おしい記憶が泡沫のように浮き出た。心の壁が冷たい水面であるかのように。またまたあの幸せな日々を思い出した。幸せは儚い。幸せは刹那しかない。
それ以上にずっと続けるなんてない。

今はどうするか分からない。この虚しい地元での生活をどう満たすか知らない。早く飛び出したい、新しい仲間、生活、経験、新しい自分を発見したい。この自分の̪瑕疵や弱点にも関わらず結構満足しているけど、もうこれを卒業した。

この身体が剥がれそうになる。行く途中。私を待っていてね。

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