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書きたいことを言語化できないときに。 TAE(thinking at the edge)という手法
自分の身体感覚に注意を向けて問題解決をする、というかインサイトを得るというメソッドがあって、フォーカシングというんですが、
読書猿さんの『アイデア大全』を何気なくめくっていたら、
フォーカシング/ 言葉にならないものを言語化する汎用技術
TAEのマイセンテンスシート/ 何を書くかを身体に尋ねる
という章が目に留まりました。フォーカシングは独学ですが少しかじったことがあって、でもずっと忘れていました。
書きたいことがぼんやりとあるんだけど、言語化できないという今の僕の現状打破のために、上記ふたつの手法を提唱しているフォーカシング・インスティチュートのwebページでマニュアルを手に入れて、自分を素材にしながら取り組んでみました。
Ⅰ とりあえず、「小説を書くこと」について、もし僕の「身体感覚」が何か言いたいことがあるとすれば、それは何だろう? 僕は、身体感覚が伝えたいことに耳を傾ける〈巫者〉となる。なにしろ、赤裸々ですが、ご容赦を・・・・・・。
あれこれ画策したようには思えない小説がぽんと世に出て認められている。一方で、僕があれこれあれこれ画策していることは全く役に立たないのかと徒労感でいっぱいだ。というか、理屈の通らなさをあえてmaxにするようにして言えば、他の作家は楽をしてもてはやされている一方、僕は理屈でガチガチだ。というか、あれらの理屈はどこへいったんだ? これらキラキラした小説群において。僕はしなくてもいい苦労をしているのか。というか、僕がこうでなきゃと死守してきた感じヌキでも小説はなりたっている。徒労
感。
Ⅱ キーワードになりそうな言葉に下線を引く。で、それらについて、より自分の気持ちにぴったりな言葉を探す。
怒り→なんか全然ちがうじゃん!
しなくてもいい苦労→じぶん、ばかみたいじゃん!
徒労感→ギャップ
Ⅲ もう一度、感じている感覚を新しい言葉で書いてみる。
ちがうちがう、全然違う! そこにあるのは白く光る。輝いていて、ドアがある。
↑ こうなると、もう詩的言語めいてきますね。それでいいらしいです。
今までどこか「公的/ public」な言葉でしか表していなかったところを、どんどん核心へ降りていくにつれ、僕らの書く文章は、通常その言葉が意味するところから逸脱し始めるらしいです。
Ⅳ さっき浮かび上がってきた文に関わるような、何か具体的な出来事を書く。一般化したこととか、メタファーはよろしくないらしい。ぐっ。
母や祖母が喋る言葉はぼくのそれとは全然違う。白く光る扉/ スペースは僕と彼女たちとを隔てる。
↑ 一周回って(?)千葉雅也っぽくなってきましたが、まだまだ抽象的ですよね、まだ。何か具体的なエピソードを出さなくてはなりません。
僕は笑われている、もしくは先生を幻滅させている。集会のときに発表する原稿を書かなくてはならない。幻滅しているのは僕の方だ。なにしろ、僕はほんの7才だ。原稿の白い紙を折り畳んで発表に臨む。そらで言えればいいが、途中で忘れたら、ポケットからその白い紙を取り出さなくてはならない。僕は紙を取り出した。折り目はぼろぼろだった。
このエピソードはわりと最古層から出てきました。今でも体感的にはチリチリします。児童集会で前で発表するのがいやでした。そのことが「書くこと」と関係があるのかどうかはわかりません。マニュアルによれば、そこは考えなくていいらしいです。
Ⅴ このような出来事(マニュアルでは "facets" とある)を4つ挙げる。で、ディティールごとの関係を見つける。何かそこにパターンのようなものが見つかるか? もうひとつ浮かんだfacet。
僕の書いた作文が文集に載った。それも7才か8才の頃だった。ほかの学校の子どもの作文もたくさん載っていた。それぞれに編者の評が付けられていた。僕の作文には「見るべきところはないが、悪い文章の例として採用した」というような意味のことが書かれていた。僕はそれをすっかり忘れていたが、大人になってその白く分厚い文集を読み返して初めて、その残酷な評を読んだのだ。どこがどう悪かったのかは書いていなかった。そんなトホホなことが起きていたなんて。
Ⅵ (できれば)4つのエピソードを挙げ、それぞれから、別のエピソードを見たときに何かわかることをクロスして探る。
僕が得たインサイトは、なんかいつも僕と世界、つうと大げさだけど、まわりとの間に何かゴロンとある感じ。疎外感とかいう意味をはがしてしまって、ただ、ゴロンとそこに何かがある感じ。で、そのことをやっぱり僕は寂しく思っているし、あきらめてもいるような気がする。
今のところ、このTAEをやってみて得られたのはあんまり明るい結論じゃない。やりかたも、ファシリテーターに就いて丁寧にやってはないから、拾い方も恣意的だけど、おもしろかった。
正式には14のステップがあるんですが、だんだんとパーソナルな次元へ降りて行って、そこで得た新鮮な言葉でもって、今度は他人へ向けて何かを語れるようになる。そこまでが目標らしい。今までとは違う言葉を使って自分の考えを表せる。それって、めっちゃ楽しいと思いませんか?
僕が今日やった範囲で出てきた言葉遣いは、まだまだ僕的にはありそうな言葉ばっかりでした。もっと掘ってみないとな~。