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綿矢りさ「You can keep it.」#1

綿矢りさ『You can keep it.』(『インストール』所収)を読もうと思う。
高橋源一郎がこの短編について次のように言っていたからです。

綿矢さんの小説は「~のように」という比喩が多いのだが、またか、って感じがせずに、初めて読むような気がする。それから、個性的であろうとする姿勢がなくて、「私」感が薄い、と。

「魂の漆黒の闇の中では、時刻はいつも午前三時だ」と言ったのは、F・スコット・フィッツジェラルドらしいですが、綿矢りさには「魂の午前三時」的臭さがない、と。

なるほどな~、と僕は笑ってしまいました。まだ当の小説を読んでいないのに。

で、僕は綿矢りさをうらやましく思います。「俺は魂の午前三時からの帰還者だぜ」、と威張りたい気分は僕にもあるからで、それを棄ててしまえるのは、いさぎよい!

で、村上春樹だと、「魂の午前三時」感がもうもうと立ち上っていると思うんですよ。死の匂いが立ち込めていて、目に見える敵もこわいけど、自分自身の無意識までもが敵のようにしてジリジリと詰め寄ってくる、みたいな極限。

地獄巡り、というか、冥界巡りというか、胎内巡り。井戸とか、石室とか、クローゼットとかに身を潜めて、邪悪な者が通り過ぎるのを待つ。もしくは、今回だけは見逃してもらえるが、いつまたヤツらが戻ってくるかもしれない。

そういう切羽詰まった「僕」たちが、うようよ出てきますよね。帰還者だらけだ。で、僕は彼らのことを、いやすげぇな、と思うしカッコいいとも思うんですが、僕じしんは「魂の午前三時」感を書けない。

だからですね、僕は『You can keep it.』を読むのを楽しみにしています。「魂の午前三時」感ぬき●●だと、どんな小説になるのか?

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