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何を書くか@ひとり小説会議

今日は小説について考えると決めていたので、これから実行するとしよう。

晩飯ばんめしの献立を先に決めておくことにして、冷蔵庫をのぞくと、昨日の名付けようもない牛肉のソテーがあったので、それをオムレツ化することにして、あとは竹の子の土佐煮と、ほうれん草のおひたし。

で、中村航を読んでます。

「思考を積み上げるには、書くしかないんです。一旦書き出せば、その内容は忘れて、次の段階に進むことができる」

『これさえ知っておけば、小説は簡単に書けます。』

確かにな。

で、中村は、自分の小説を読んでほしい読者代表をペルソナと呼ぶんだが、

「ペルソナとは、商品の典型的な、ただ一人のユーザー像のこと」

『これさえ知っておけば、小説は簡単に書けます。』

一人か!

ともかく、本の指示に従って、ブレーンストーミングをやってみる。「何を書くか」について。時間は5分間。


僕と同じような感じのいわば分身、そういう人物が無数にいるとして、彼らへ向かって書く。だから想定される読者は無尽蔵だ。書くべきものは、世の中にある「こうでなくては」という縛り。ルール。いや、もっと目に見えないような、成文化せいぶんかされていないような、そんな圧力のようなもの。それに屈せずに自分らしさという強さを回復させる者を描く。自分の強さを回復させる者を描く。目に見えない圧力とは、実のところ何なのか。それについても書く。仲間について書く。仲間は強さを持つのか? それとも、圧力に屈してしまうのか? 味方になるのか? 敵なのか、敵とはそもそも何なのか。世界の資源がすべて手つかずのまま僕の手に委ねられたら、僕は何ができるだろう? 手つかずの豊かさ。それを以て僕は何を成しえるだろう?


ふう。
以上で5分のタイマーが鳴った。まだまだアイデアというよりもずっと抽象的なことばかりだ。僕はものすごく自分に遠慮していることがわかって、ちょっと慄然りつぜんとする。

好奇心。探求心。そういうのをもっと自由に放出したら、どうなるか?
僕が興味のあること、最近知ってうれしかったこと、知りたいこと、会ってみたい人、行ってみたい場所。そういうのをフックにしてもう一度やってみよう。
では、ブレスト2回目。Here we go!


行ってみたい場所は、地下都市。それから、二重生活、二重人格、こっちとあっちがつながっている、そういうデュラリティに興味がある。何にでも変化、変身できるとしたら、それをどう生かせる? もし、石になれたらそれで役にたつことがあるか? あぁ、石になればいいじゃん! って変身するスキルを役立てて窮地を脱することができるかもしれない。だとすれば、何に変身できるといいだろう? 窮地について。窮地にはあんまりというか、まったく興味がないのだが、どんな窮地であればあってもいいと思えるか? 特に、僕が想定する読者ペルソナ氏にとってみれば。窮地。たぶんそれは、主人公の信念を揺らがすような出来事。それまで信じていたことにしがみついていては状況打破できないような瞬間。誰かのためには、自分のちっぽけな信念なぞかなぐり捨てねば! そういうのが窮地。想像はできると思う。自分の信念といったって、ぜんぜん堅固じゃないのはわかっていて、たんに慣れているだけ。ある種の振る舞いに。だから、僕らが何かに縛られているというより、僕らを縛っているのは、あの「慣れ」ってやつかもしれん。


「敵」は自分自身かもしれない。いきなりぞっとするようなことが掘り出されてきた。これで放り出さずに粘り強く構成まで持っていきたい。

テーマについて考えてみる。

主人公・伊佐時折いさときおりは、非日常の世界へ行って還ることを通して、これまでの自分にはできなかったことができるようになる。成長といえば成長だし、ともかく変化する。ここでの非日常の世界は、かならずしもワンダーランドでなくてもよく、誰かのふとした身振り、ふとした天候の切り替わり、何かしらの環境のスイッチによって切り替えられた先の世界であり、時折ときおりがそれまでいた世界と地続きではある(はずだ)。

で、時折ときおりは葛藤や矛盾を解決すべく敵と闘うわけだが、彼の勝利とはならず、ジンテーゼの獲得で終わるかもしれないし、その方が自然な気がする。善が悪を倒すという単純明快なテーゼを押し通すことはできない世界に僕たちは住んでいるからだ。

正しいのは僕らで、間違っているアイツらを倒す! っていう図式に当てはまらない、そういう物語にしたい。僕らが間違っているのかもしれないし、相手が太刀打ちできないほどに知力も財力も武力も備えていたら倒せない。それに、どっちが善なのか悪なのかの境界があいまいな場合があると思う。村上春樹の小説世界は、善悪が分かちがたく滲み出ていて、その混じり合いが魅力だし、現代に生きる僕らの気持ちをうまく掬い上げてくれているように映る。僕も時折ときおりには両義性の洗礼を受けさせたいと思う。

とかって、口で言うのは簡単だけどね。ともかく、おもしろくなってきた!

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