千葉雅也の『エレクトリック』がカッコいい。
千葉雅也の『エレクトリック』がよかった。
以下は、わたくしアルジズによる、極私的誤読的レヴュー。ネタバレの心配はありません。
作品は、主人公の高校生「達也」の視点によって、宇都宮の街をタルっと切り取っていくわけですが、なぜだか、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』っぽい神学的語りとして読めてしまう。どこもかしこも、猥雑で笑える場面のはずだけど、なぜか神々しい。
例えば、次のようなところに、わたしは神学っぽいキラキラした感じを受け取ります。
聖書に出てくるような感じの、シンプルに名付けられた場所感。
達也の祖母の実家は、古い町並みが残る界隈にあって、「寺の家」と呼ばれている。
達也の自宅は「豆腐のような白い家」と形容されている。
下痢とか腹痛とか、痔とか、出産といった排出系のイメージが、まるで祝祭のようにゴロンとある。
風呂、便所、雑駁な科学や医学のイメージ。
年齢不詳、性別も不明なくらいの妖怪じみた祖母たちの存在。
祖母が「あのよお、おれ、腹痛えんだけど」と達也の母に話しかける。
「こうなりてえなあ、とお願いすると、本当にそうなるんだよ。おれはな、大きな家に住んで、ずーっと昼寝してえって思ってたんだ。そうしたら、ほら、そうなった」と横になって喋る祖母の語りは達也の眠りをも誘う。
・・・ちなみに、自分の家に一緒に住んでいる祖父母ではなく、お盆とかにだけ会いに行く祖父母というのは、確かにどこか不気味であって、特に曾祖母となると、さらに不気味感が増すわけです。見た感じも自分とはかけ離れた、堂々たる年季の入った老人なので、孫(ひ孫)は無遠慮にしげしげと見たりするわけです。
で、この遠慮なくしげしげと観察したりするのが許されるのが、やはり親族たるがゆえん。おばあちゃんは小さい子らの視線を追い払ったりせず、泰然としています。
こういう、年寄りの住む家の、のたりとした感じが『エレクトリック』にはたびたび差し挟まれます。わたしは、そこがすきですね。
他に特筆すべき点として、千葉は作中で「いいよね」という言葉を使うのがうまい。かっこいい。
例えば、達也が妹の雑誌に載っている写真を見て「これとか、なんかカッコいいよね」と言う。
少しも掘り下げてなくて、ぺらっぺらな意見をシンプルに言う。そこがいい。
千葉の『オーバーヒート』にもペラペラさが際立つ、いいシーンがあって、主人公の「僕」が彼氏の「晴人」と心斎橋OPAで服を見てるんですよ。で、晴人が・・・
「それ買おっか」がいいですよね。さっきの話でいうと、おばあちゃんとかが、無造作にそういうセリフを言いますよね?後先考えずに。
「それ買おっか」って。
そののたりとした感じ、甘えていいのかわかんないけど、まぁ、いいよね・・・、おばあちゃんだし、彼氏だし。っていう。
千葉雅也はなんだかこう、夏休み感に溢れているような気がします。
となると、神学とは夏休みのことである・・・。と言えるのか?どうなのか?単なる誤読なのか?
では、また。チャオ。