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【超短編小説】#02 蟹とマニキュア

「夏くんは湯葉って食べたことある?」
 青山が僕にたずねた。青山は赤いマニキュアを足の指に塗っていた。
「いいえ」
「わたしこないだ湯葉をね、3パック買ったんだよ。それからマックに並んでナゲットの大きい箱買って、他に何か期限限定のドリンクも買ったかな? それから自転車に乗って家へ帰った。家ではわたし一人なんだよ、スタジオではいろんな人がいるけど。で、湯葉とナゲットを一気に食べた。津田にあんまり食べ過ぎないようにいつも言われてるけど、わたし顔は太んないから」
「すごい組み合わせですね」
「ん? そうね」
 青山は手を止めると、僕を見てにっこりと微笑んだ。満足が顔に現れていると思った。
「そういうバカみたいな食べ合わせがすき。羽目を外してる感じがするから」
 青山はまたしゃべり始め、僕はマニキュアの刷毛がしなり、爪の上を滑っていくのをじっと見ていた。おもしろかった。
「わたしね、川で蟹を採ったの。手が砂だらけになった。爪のあいだに砂が入り込んで、蟹の匂いも消えなくて嫌だった。夏くんは、蟹に触ったことある?」
「いいえ」と答え、何だか暗くなってきたと思って窓の外を見ると、巨大な入道雲がいくつも出現していた。
「そのあと自転車でマツキヨに行ってね、蟹の匂いのする手であれこれ見て回るの。ほら、仕事でメイクするのに使ってみたいやつが見つかるかもでしょ? 津田に見せて、いいって言われたら、それを使うの。ほら、このネイルもマツキヨで買ったの。夏くんにも塗ってあげる。ほら、手ぇ出してごらん」
 僕は言われるままに右手を出した。女は立てた自分の膝の上に俺の手をのせ、指をつまんだ。ブラシが濃い朱色の面積を増やしていくのを、またぼんやりと見ていた。アセトンの匂いは妙に安心する。蟹の匂いはしない。
 ばらばらと音を立てて雨が降ってきた。あたりは暗くなっていた。
「そっちの手もかしてごらん」
 僕は左手を青山に預けたまま、テーブルに乗っていたガラスコップに手を伸ばして麦茶を飲んだ。
「雨やね・・・・・・。ね、これ塗り終わったら、ご飯食べに行かへん?」
 と、青山は珍しく関西弁で、これは機嫌のいいしるしだった。いいことがあった後の青山はとても磊落らいらくで、僕をあちこち連れ歩く。もうずっと前からそうだ。そして僕はといえば、そんな躁状態の青山に振り回されることがわかっていながら、いつもついて行く。

・・・・・・to be continued・・・・・・

(湯葉とマックと自転車とドラッグストアでコスメを買う・・・というモチーフは「つじの える」さんのnoteに刺激を受けました。躁的な暴走のイメージが鮮烈で、まるで発熱しているかのようです。)


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