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来年の目標と振り返り

今日の診察で、父の話を打ち明けた。
7年前父は、心臓を悪くして急死した。
私は極度のファザコンでずっと父に依存して
生きてきた。父は写真家で主夫で無職。母は外資系の銀行の部長で高給取り。という。今でこそあるものの私の幼い頃は珍しい家庭だった。
何をするのもパパ。全てパパだった。
パパの為に生きて。それが生き甲斐だった。
7年前父が亡くなり。急遽生まれ育った東京から母の故郷の栃木に移り住むことになった。
訳あって叔母も一緒に生活することになり。
慣れない生活が始まった。母の為に気丈に振る舞いながらの生活。今度は母の為に生きた。
病院で知り合って最初に出来た彼氏は自殺で死んだ。2人目の彼氏は7年付き合って、最近は円満に別れて。仲の良い友達付き合いをしている。その元彼はお金に困っていて。私は父の肩身まで売りとばして手助けした。中絶もした。避妊具もいれた。お金を母に全て援助してもらう訳にいかず、B型作業所で働き足りないからA型に行った。車が無いと母も彼も困るから運転免許も取った。
今となれば、自分の為だが、全て母と彼の為に生きた7年間だった。依存して生きていた。昨年ストレスが爆発して、措置入院になった。母のえらんだ病院ではなく宇都宮の病院の閉鎖病棟に産まれて初めて…。ずっと18才から統合失調症だったが。父の看病でいつも入院はすり抜けてきていた。病棟で看護師さんや医師やケースワーカーさんはとても優しく。暖かかった。入院中できた親友もいる。産まれて初めて1人になった。それから宇都宮で母と叔母に援助されながらも1人暮らしを初めた。2回目の入院から3ヶ月。私は父のロスが大きいことに初めて気が付き。40才になるまで自分の為に生きたことが無いことに気がついた。医師は入院中から私の絵の才能を認めてくれたり。想いノートを書く様に勧めてくれた。そして曲にして歌いたいというと。とても賛成してくれた。自分の為に。生き。自分の為に歌う。
それが来年の目標となった。看護師さん医師。ケースワーカーさん。東京からの友人知人。栃木でできた親友、友人、知人にも感謝している。
来年は頑張ろうと思う。41才曲がり角だけど再スタートの年になった今年だった。

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