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Photo by
take_kuroki
悲しみの正体とは。
去年の今ぐらいに、父の壊死した足を火葬した。
亡くなった時の事も考えて、骨壷を買ってしまった😓
(本当に亡くなってから、骨壷はダメって知った😓)
骨壷の処分は自分でしようと思って、お坊さんに処分方法を教えてもらった。
これが、なかなか出来ない😓
四十九日までの祭壇も、なかなか解体する気になれなかった。
どんどんなくなっていく(祭壇を解体)、景色が変わっていく(遺影を上に飾る)のがなんとも言えず、寂しい気持ちになった。
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この、寂しい気持ち。
存在を抹消しているような、
確かに在ったのになかった事にするような、
モヤモヤ、ザワザワ、
形にならない、言葉にならないもの。
この感覚、感じているものをどう扱ったらいいのかわからない、
どう表現したらいいのかわからない、
どうしたらいいのかわからない
この持て余す感覚に飲まれた状態を、悲しみって呼ぶのかなぁ、と思った。
肉体が滅びても、魂は死なない。
どうせ、その辺にいるんだろうけど、まだ肉体の私は時間や空間、制限を受けてるからやっぱり寂しい気持ちになるんだよ。