ケケケのトシロー 6
(本文約2600文字)
「わしは『キダロー』や。 ケケケ」
シルエットはそう言い、羽織っていたものを脱ぐような所作をする。すると黒い姿が一回り小さくなって、顔、形がはっきりと現れだした。結構な長身だと思っていたが、今は170㎝の俺より小さく見える。手には黒のケープのようなものを持っている。
年の頃は俺と同じ60代か? 顔がジジィっぽい。少したれ目で、常にニヤニヤした口元、口ひげを蓄え、頬は足るんでる。ご利益が見込めない、やせた恵比寿天みたいな顔だ。髪は白髪が多いがふさふさとしていてオールバックにしている。くそ、羨ましい…… 身体は細みで頑丈な感じはしない。随分とシルエットに騙された感があるな、俺と同じ貧相なやっちゃ。
「あんた、今、わしのこと羨ましいと思ったやろ ケケケ」
「な、なにが? なんで羨ましいねん。あんたも俺と同じジジィやん」
「ふ~ん、そうか。 ケケケ」
男は奇妙な笑いを口元に残しながら、右から、左からと俺を眺めまわす。なんやねん、ほんとに気持ち悪いぞ、ジジィよ……
「ケケケ、ケケケって、いちいち何が可笑しいのよ、ギタローさん」
「ちゃう! ギタローやない! 『キダロー』や!」
「え、あの、浪速のモーツァルトの?」
「♬と~れとれ、ぴ~ちぴち、カニ料理~♪※₁ それ、キダ・タロー※₂ わし『キダロー』!」
「ゲゲゲの?」
「それは、『おい!鬼太郎!』※₃ わし『キダロー』!」
どうやらこのジジィはボケられるとケケケと笑わんらしい。ノリ、ツッコミは上手い。大阪人か?
「ほんで(それで)なんの用ですの? え~と『キダロー』さん」
「ボケへんのかい! まあ、ええわ。あんた、また、あいつにやられたやろ ケケケ」
このジジィ、なんでその事を…… またって、見とったんか?
「別に、なんもあれへんですよ」
「ケケケ 嘘つけ。 ケケケ ようけ(たくさん)買わされたんやろ?」
やっぱり見とったんかいな。この糞ジジィめ。
「なんですか。知ってるんなら、それがどうしたんでっか。キダローさんには関係ないでっしゃろ? また、俺の事バカにして笑いにきたんでっか?」
俺はかなりムカついていた。けど、こんなオッサンと喧嘩しても仕方がない。人の不幸が楽しい嫌な奴。そんなのと関わりたくない。
「関係ないんやから、はよ、どっか行ってください。俺も帰るとこですから」
キダローは俺をじっと見つめる。いつの間にか結構な至近距離。怖い。
「ななな、なんでんの……」
俺はちょっとビビッている。膝はまだカクカクしてない。
「あんた、それでええの? やり返したくないの? あんな悪人、ほっといてええの?」
鼻先がくっつくほど顔を近づけてキダローは尋ねる。俺は完全にビビりだしている。
「そんなこと言われても、俺にどうせぇと……」
「度胸ないの?」
「……無いです……」
「根性もないの~ ケケケ」
「ほっといてくださいよ~、もう~ どうせあんたは何にもしてくれへんでしょ」
俺はそっぽを向いてその場を立ち去ろうとする。もういやや、なんでこんな奴にまで馬鹿にされて、笑われなあかんねん。俺は惨めさの方が勝ってしまってちょっとだけ泣きそうになっていた。
「あんた、変えたろか、わしが ケケケ」
立ち去ろうとする俺の背中に、キダローの声が刺さる。変える? 何を?
「何を変えるんですか?」
「あんたの生き方をや」
「生き方? 何を言うてますの。あんた、俺の何を知ってますの?」
「よう、知ってるがな。情けない奴」
「ほっといて」
「ほっといてもええねんけどな ケケケ わしも、色々とあってな ケケケ」
「それこそあんたの都合なんか、俺、関係ないし」
「このままやったら、あの兄ちゃんにずっとたかられるで~ ケケケ」
「もう、会わへんし。知らん顔しといたらよろしいやん」
俺はもう帰る。こんなジジィも相手にせん!
「帰りますわ。ほなサイナラ」
「ケケケ あんた、おい、トシロー」
何で俺の名前知ってるねん……
「よ、呼び捨てにすんな。な、何やねん…… キ、キダロー!」
俺は精一杯強がって呼び捨てにしてやった。
「お前、情けない奴やからな。 ケケケ 絶対、わしが必要になるで。 ケケケ わしもな、お前みたいなんが必要なんや、実はな。ケケケ」
「なんやねん! 俺はあんたなんかいらん! もう、気持ち悪いわ! サイナラ」
俺は走り出した。一刻も早くこのジジィの目の前から逃げたい。早く家に帰ろう。真由美、待っててくれてるやろ。
瞬間、目の前が真っ暗になる。確かに走り出していた俺は、まるで網でさらわれたように身体全体を空中に持っていかれた。くるくると何回転か空中で転がされる。俺は中華鍋の中のチャーハンか! 止めて! 眼が回る。
ドンと地上に落とされた所はキダローの足元だった。あたた、腰が……腰が…… キダローはさっき持っていたケープのようなものをチアリーダーがふる旗のようにぶんぶんと八の字を空中でかき、自分の左肩にかけた。もしかして俺はこれで振り回されたのか。
「わしの言う事も聞いてんか…… ケケケ」
「聞きます、聞きます!」
また、コインランドリーで乾かさないといけないかと、股間の湿度を感じながら俺は思った。
「お前にな『ケケケの妖術』を引き継いでほしいねん」
「ケケケの……? あんた、ほんまに何者なの?」
俺は大の字になったまま、キダローの顔を見上げる。上から覗き込むキダローの顔は、やはりケケケと気色の悪い笑顔だ。
「わしはな『ケケケのキダロー』ケケケの妖術マスターやで ケケケ」
「や、やっぱりゲゲゲの妖怪でんがな。後生ですさかい、助けて」
「ゲゲゲ違う、ケケケや。それに、わし、正義の味方やから ケケケ」
左肩にかけていたケープをまた、ぶんと一振りし、今度は両の肩にかける。そうするとキダローはシルエットに戻る。今度はキダローそのままのシルエットだった。
「ええか、トシロー。こんどあいつと会ったとき、難儀なことを要求されたら必ず断るんや、ええな。わしが必ずそこにいったる。勇気出せ! わかったか? ケケケ その時にわしのすごさもわかるで~ ケケケ」
キダローは街灯の明かりが届かない方へ歩いていく。すぐにそのシルエットは闇にまみれて見えなくなった。
「ケケケのキダロー…… 思いっきりパチもん(ニセモノ)みたいな名前やんか……」
俺は暫くの間、道の真ん中で胡坐を組み、奴が消えた闇の方を眺めていた。
※₁ かに道楽CMソング 作詞 伊野上のぼる 作曲 キダ・タロー
歌唱 デュークエイセス
※₂ キダ・タロー
※₃ 「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉オヤジのセリフ 作:水木しげる
エンディング曲
NakamuraEmi 「Don't」
ケケケのトシロー 1
ケケケのトシロー 2
ケケケのトシロー 3
ケケケのトシロー 4
ケケケのトシロー 5