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オリジナル短編小説 【秋声 〜季語シリーズ24〜】

作:羽柴花蓮
Wordpress:https://canon-sora.blue/story/

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 日本には歌の文化がある。和歌、連歌、俳句など。古くから歌を詠んできた。なかでも俳句は短い十七音の中に季節を表わす季語を入れるという定義がある。入れない物は俳句ではない。川柳として一線を画す。そんな季語から紡ぎ出される物語の一端である。

 秋声。秋の季語である。風雨の音、木々の葉擦、虫の音など。しみじみと秋を感じさせてくれる響きを声に例える。具体的な音だけでなく、心耳で捕らえた秋の気配をも言う。角川書店編、俳句歳時記、秋による引用である。

 そんな秋声を聞き取れない青年がいた。武藤雅昭である。両親を早くに亡くし、兄と二人きり、親戚をたらい回しで育ってきた。ようやくそこを離れ、仕事を得て、一人で生活を始めた矢先である。兄はまた別の仕事で多忙を極めている。兄に頼るまいと必死で生きている。そんな雅昭の悩みは人々が楽しいと感じる場所に行くと物音が聞こえなくなる、という事である。

 今は、秋。秋晴れの公園で初の彼女を待っているが、雅昭には公園の中で起きている物音がまったく感じられない。まるでモノクロの世界にいるようだった。そこでボールで遊んでいる子供の声も、親のちょっとした立ち話も、虫の声も、何もかもが遠い映画のようにわんわんと響いているだけだった。聞こえているのに拒否してしまうのだ。心が。まるで自分の幼い時の思い出を思い出さないようにしているかの如く。雅昭の幼い頃の記憶にぼんやりと親の気配がある。だが、はっきりしない。残された写真を見ても実感はわかなかった。気づけば兄と肩を寄せ合って生きていた。袋だたきにされぬよう、ひたすら息を殺して生きていた。その頃からだ。物音に気がつかなくなっていたのは。耳では聞こえる。だが、状況判断ができないのだ。世界の何もかもがモノクロのあるいはセピア色の景色に見えた。もちろん、視力に異常はない。聴力も。なのに、雅昭はわからなかった。ただ、一人を除いては。

 始めて彼女ができて、雅昭の生活が一変した。彼女は色を持っていた。音を持っていた。その女性の名を乙という。乙女の乙と書いておと、と読む。昔の通知簿みたいでいやだ、と言っているが彼女が雅昭に音をもたらした。今日も、この秋晴れの公園で待ち合わせている。
「雅昭さ~ん」
 遠くで乙が呼んでいる。雅昭は満面の笑みを浮かべて振り向いた。まるで彼女の周りは光って眩しいほどだった。それぐらい雅昭には影響を及ぼしていた。この女性を失えば、また音のない世界、色の世界に戻るのか、と思うと雅昭は怖かった。だが、そんな心は出さず、乙に近づく。
「待った?」
「いいや。ここの音を感じていた」
 嘘、だった。乙が来てから始めて聞こえ始めた。きゃっきゃとはしゃぐ子供の声やボールの飛びはねる音。そして、秋の音。虫の音色が昼間でも始まっていた。ことさら夜には虫の音色が大合唱をしているが、一人の時は解らない。
「もう。秋なんだね」
「そうよー。雅昭さん、いつになったらお嫁さんにしてくれるの?」
 冗談交じりで乙は言う。
「秋の挙式は寂しいから来年のジューンブライドにしよう」
「そう? 秋晴れのガーデンパーティー楽しそうだけど」
「乙は秋が好きなの?」
「そうね。心地いい涼しさが感じられるし、春の桜吹雪の切なさもないもの。なにより!」
「食欲の秋!」
 二人の声がハモった。
「ねぇ。何かお店が出ているわよ。寄っていきましょうよ」
 大きな公園の一角ではキッチンカーが止まっていた。タピオカジュースやクレープをワンコインで売ってるようだ。
「あら。新商品ですって。抹茶のアイスラテ」
「それは、夏に食べるんじゃないのか?」
「秋でもこんなに晴れていたら暑いから売れるわよ」
「そして君がそのお客さんの一人というわけだ」
 乙はすでに五百円玉を出していた。
「悪い?」
「いいや。俺も何か頼もう」
 小銭入れをごそごそ探す。ふっと取り損ねた。小銭入れがお金をばらまきながら芝生に落ちる。
「あらら。拾うの手伝うわ」
「君はアイスラテが待ってるよ。ここは俺が責任持って全部拾うから」
 そう言って芝生に点在している小銭を拾い出す。すると小さな手が差し出された。
「あんちゃん。これー」
 小さな子だった。掌に十円玉を持っている。
「それは君にあげる。拾ってくれたご褒美」
 にこっ、と雅昭は微笑む。幼児は困っている。
「もう。子供を困らせたらダメよ。ありがとう。拾ってくれて。お姉さんがもらうわ」
「うん!」
 満面の笑みを浮かべて乙の掌に十円玉を落とす。遠くで親が見ていた。父親の元に幼児は駆けていくと頭を撫でてもらっている。ふ、と雅昭に思い出が浮かんだ。誰かの手に撫でられた感覚。大きな手ではなかった。幼い自分と同じくらいの小さな手。
「兄貴・・・?」
 感覚を拾おうとしていると雅昭の手に乙がどかどか小銭を乗せていく。
「うわぁ!」
 積み上げられた小銭にびっくりしてまた落とす。
「もう。困ったさんね。こんなに小銭持ってどうするのよ」
「いつの間にかたまっていた」
「もう少し大きい小銭入れ買ったら? 小さすぎるわよ。それにしても年季が入ってるわね」
 ああ、そうだったと雅昭は思い出す。兄が誕生日プレゼントに小銭入れを贈ってくれたのだ。あの小さい手は兄だったのか・・・?
 遠い記憶に手を伸ばす。また、小銭が散らばった。
「もう。雅昭? 聞いてるの?!」
「あ。乙。溶けてる。早く食べて。拾うのは俺がするから」
「え?」
 猛スピードで拾い終わると立ち上がる。乙は言われるままアイスラテを飲んでいた。
「そんなに早く拾えるのにどうしてあんなにばらまくの?」
「少し、物思いに捕らわれてて・・・」
「物思いより私を見て欲しいわ。雅昭君」
「君づけはないだろう? 子供じゃないんだから」
「今、子供化してたから。あなたがぼーっとしてるときは大抵、昔の子供に戻ってるときなのよ」
「そうなのか?」
 自分では気づけなかった。こうして乙に雅昭に自分の事を教えてもらっている。始めて音が聞こえたときの雅昭の喜びぶりに不審を抱いた乙は根掘り葉掘り聞いていた。だから雅昭が音や色を拾えないことを知っている。
「少し、思い出が戻ったのね」
「この、小銭入れ、二十歳の誕生日に兄貴にもらったんだ。おそろい、って。兄貴は色違いを持っているんだ。結構な値がしたらしい。それから兄貴に撫でられた思い出がでてきた。なんの時かはわからない。ただ、頭の上が温かった。たったそれだけなんだけど」
「いいじゃない。いい思い出よ。で、ワンコインは見つかったの?」
「あ、ああ。タピオカジュースを飲むよ。お兄さんタピオカミルクティーひとつ」
「ありがとうございます。しばらくお待ちください」
 そう言って店の主人は用意を始める。気がつけば客がまばらに待っていた。小銭拾いを見られていた・・・。恥ずかしい思いで一杯だ。足止めしていて絶対に、うざったいと思われている。
 そんな雅昭の背中を乙はばしっと叩いた。
「誰もそんなこと思ってないわよ。よく落とすにいちゃんだな、ぐらいで」
「だけど。こんなにお客さん・・・」
「むしろ注目を集めて集客効果があったんじゃない?」
「はい。どうぞ。よくかき混ぜて飲んでください」
「あ。ありがとう」
 そそくさ、と雅昭は公園の隅に行ってしまう。
「雅昭―」
 乙が追いかけてくる。
「あ。乙を忘れてきてた」
 荷物のように言って少し戻る。
「もう。いくら恥ずかしいからって超スピードで逃げなくてもいいじゃない」
「いや、それは、その・・・。思わず忘れてきてしまったんだ。ごめん」
 子犬のようにしゅん、となる雅昭の頭を背伸びして乙はなでる。
「雅昭君は繊細なのね。大丈夫。乙が守ってあげるから」

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