2024/9/23

お彼岸ということもあり、実家に帰った。(永福にあった父の実家はもう解体され新しい家が建っていて、母は宮崎出身だから、正確には実家ではなく「今母が住んでいる家」である)
本当は昨日の午前中に帰って2泊する予定だったのだが、昨日はあまりの疲れで自分のベッドから全く動けず、今日のお昼になってようやく重い体を引きずって、八王子の奥地へ来ることができた。

まあ疲れていたとはいえ少し頑張れば家から出ることぐらいはできたはずで、それもできなかったのは母に対する甘えだったと思う。昨日はその自分自身の変わらない幼さに絶望していた。

お墓参りに来るたびに思うのだけど、1時間半かけてお墓まで来て、花をお供えして水をかけたりお墓周りの掃除をしたりして(かかっても大体10〜15分ほどだ)、また1時間半かけて帰る、というこの儀式は一体なんなのだろうと思う。効率とか、生産性とか、完全に正反対の行為であって、その意味は現代の資本主義的価値観では到底測れない。でもこの非効率的で非生産的な行為こそが、人間の証であり歴史の積み重ねなのだと思う。

お墓参りを終えて、母の家でご飯を食べたあと風呂に入り髪を乾かしていると、少し髪が薄くなっていることに気づいた。心は幼いままだけど体はちゃんと歳を重ねているんだなと思った。そのギャップにまた少し絶望した。

最近日記を毎日書くという行為が続けられなくなっている。疲れとかもあるけど、たぶん1週間前の演奏が良くて音楽が楽しくなってきちゃったからだ。
自分を表現する手段として、文章を書くということと、楽器を弾くということの両方に熱を傾けられない。それなら今は楽器を弾こうかな。

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