2025/1/3「ウエストランドが好きな理由を考察してみる」



今年は年を越したという感じがあまりしなくて正月気分にあまりなってないのだけど、色んな漫才やコントが飽きるほど観られるのは正月にしかないから、お笑いのネタ番組をずっと観ていたら、なんとなく正月気分にもなってきた。


✳︎


それにしてもぼくはウエストランドの漫才が好きだなと思う。彼ら(というか井口だけかもしれない)は毒舌とか悪口とか言われてるけど、実際にやっているのは「常識を疑う」という哲学的な営みなのではないかと思う。世の中の常識(その多くは時代の流れや流行によって左右されている)に対し、常にwhyを突きつける。そして普遍的で時代に左右されない良識のようなものを井口は持っていて、その自らの良識に従って世間の常識を疑い続ける。これがウエストランドの漫才だと思う。

昨日か一昨日にやっていた爆笑ヒットパレードのウエストランドの漫才には
「流行っているものはただ流行っているだけ。いい年したおっさんは流行なんかに乗らず、良いか悪いかは自分の目で見て判断しろ。そして年相応に生きろ。」
という強烈なメッセージが込められていた。こんなメッセージをストレートに言い切れる漫才師が今の日本にどれくらいいるのだろうか。みんなSNSの顔も見えない不特定多数の人間の悪意のある言葉に怯えて、言いたいことを言えない世の中になっていて、お笑いも論理的でテクニカルなものばかりになってきている。
ウエストランドがM-1で優勝したときメッセージ性のあるコント師をイジっていたけれど、ウエストランドほどメッセージ性の強い漫才師もいないだろうと思う。(それはそれで非常に皮肉だな、とも思う)


✳︎


一方で、同じように毒舌と形容されるニューヨークのネタは、ウエストランドのような強烈なメッセージ性がない。彼らがやっているのは単に、言ってはいけないことを言ったおれらカッコいいし面白いだろ、だ。
大麻所持で逮捕されたラッパーの名前を(正月なのに)出したり、下品な下ネタを言う女性ラッパーはみんなあんまり好きじゃないと言ったり、「今の世の中の常識に則って」言ってはいけなさそうなことを言っているだけで、世の中に対するカウンターに全くなっていない。「常識そのものがおかしい」と言うウエストランドとはやっていることが全く違う。


✳︎


そういえばジャズの世界にも日本に溢れる「なんちゃってジャズ」に対してYouTubeで毒を吐くピアニストが話題に上がることがある。彼もニューヨークと同じように、言ってはいけないことを言うことで、そして他人を傷つけるような言葉を言うことで世間の注目を浴び、それによってYouTubeの再生数を稼ごうとしている。ぼくは彼の演奏がとても好きなのだけど、彼のそういった言動はあまり好きではない。


✳︎


ニューヨークもピアニストの彼も、他人を傷つけようとする心の核にはコンプレックスやトラウマのようなものがあって、それを露わにして傷つくのが恐いから、自己防衛として他人を攻撃しているように見えるときがある。ぼく自身もそういう節があって、その恥ずかしい自分を見ているように感じてしまうから見てられない、ということなのだと思う。
そう考えると、ニューヨークもピアニストの彼もとても人間的だなとも思う。自分の深いところにあるコンプレックスに触れられるのがあまりにも怖いから、思わず他人を傷つけてしまう。なんて人間的な行動なんだろう。

✳︎

これはもはや日記ではない。

いいなと思ったら応援しよう!