2024/11/10「幸せを保証してほしい」
昨日は朝の9時から夜の11時ごろまで働いて、今日も朝の9時から夜の12時まで働いていた。労働時間が長いということに意識が向く。「なんでこんなに働かなきゃいけないんだ」とか「こんなに働いているのに給料これしか貰えないのか」とか、自らを悲劇のヒロインに仕立て上げようとしている自分があまりに惨めで、うんざりする。
でも今日は長い労働時間の中にも、一瞬緊張が解ける瞬間もあって、その瞬間を思い出すと「幸せ」みたいだなと思う。その幸福感の中にずっといたいなと思う。
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日を跨いで家に帰ってきて、もうほとんど可能性のなくなった来年度の独立に向けてスマホに入りっぱなしになっている物件探しアプリを久しぶりに開くと、希望条件に合致した新着物件が3件あった。物件の写真を見ながら新しい教室を想像していると、今日の授業中の幸福感が甦ってきて、来年の3月にはこの幸福感を一度手放さないといけないのか、と思って胸が締め付けられた。胸を締め付けられる、って比喩でもなんでもなくて、本当にみぞおちのあたりをぎゅうっと握られるような感覚になる。
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人生の新しいステージに進むためには何かを捨てる必要もあるんだろうと思う。幸福感とは単なる慣れであって、また新しい環境に行けば慣れるから大丈夫なんだろう。
でももしかしたら今捨てようとしているその幸福感が今のぼくの人生を決定的に支えている可能性もあって、それを捨ててしまうと生活全体が崩壊してしまうかもしれないという、意味のなさそうな不安もある。
つまり今後の人生がどうなるかなんてわからないのであって、そのわからなさが怖いから、何か保証がほしいのだ。自己啓発のYouTubeを観ているのは、自分の選択を、人生を誰かに保証してほしいからだ。
まあでも今の選択によって人生が決定的に変わったりすることは(たぶん)ないし、とりあえずやってみようの精神が大事なのかもしれない。