くっすん大黒 息継ぎなしの軽快なおしゃべりを聞かされているみたい
町田康の「くっすん大黒」
想像していた以上に面白く、一気に読めてしまった。
もう三日も飲んでいないのであって、実になのちうかやってられんよ。ホント。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの?あきまへんの?ほんまに?一杯だけ。あきまへんねの?ええわい。飲ましていらんわい。飲ますな。飲ますなよ。そのかわり、ええか、おれは一生、Wヤングのギャグを言い続けてやる。…
もう、出だしからこんな風に早口で話しかけてくるので、中座が出来ないのだ。
日本語のようで日本語でないようで、いや、やっぱり日本語。
憧れはもちろん、全然共感ももてない。
日常生活、、というにも、あまりにも、なんというか、本当にどうしようもない生活を送る主人公。
というか、現実にいたら決してお近づきにはなりたくない。
一緒にいたらこちらまで不幸に見舞われそうだ。
なのに何故なんだろう、怖いもの見たさだろうか、目が離せない。
ともすると、少し狂気さを感じる独特な視点。
働かないわ、自分のことは棚にあげて心の中で相手にひどい悪態はつくわ、類は友を呼ぶのか、出会う人も出会う人で、笑える程の曲者揃い。最初に出会った人のエキセントリックさにぎょっとしたのだが、出会う人出会う人がさらにそれを上回っていく。本当にまあ、どうしようもない。
服屋の店員、その常連客(すごい名前だ)に、プロデューサー、アーティスト、アーティストの高弟、アーティストをとりまく人々…そうそう、行動を共にする友人もいた。
みんな、そんな人いないだろう、いや、もしかしてどこかにはいるのかも…いや、いて欲しくない。
私からみたらドラマティックな展開も主人公にとっては慣れた日常なのだろう。もちろん反省することなんてなく、ひらめいた結果も、行動も、やっぱり、どうしようもない。
つまり、なんというのか、どうしようもなく面白かったのである。