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童謡「花」 春のうららの隅田川に流れるゆったりとした時間

noteはなんだか静かで、時間がゆったり流れている。

だから、投稿を読むのが楽しいし、癒される。

たまたま私の読む投稿がそうなのか、静かにゆっくりと語りかけてくれる感じだ。

そして、私も書きたく、語りかけたく、なる。

情報を求めて、または、ダラダラと空き時間にみていたインスタやツイッターはなんだか私には騒がしかった。次から次へと様々な情報が飛び込んできて、色々な欲が刺激されて。早口でテンションの高い感じだろうか。もちろんそれはそれで楽しかったり有益であったりもするのだけど、私は聞き役をするだけで精一杯だった。

noteは、こうやって、本を読むみたいにゆったりと、この今ある時間に向き合えるのがいい。(まだ始めて2週間もたっていないのだが)


そういえば、昨晩、娘が童謡「花」(作曲:滝廉太郎 作詞:武島羽衣)を歌っていた。

学校の宿題とのことで、ささやくように、なんとなく、フラットに、歌っていた。

ふいになにげなく耳に入ってきた聴きなれたそのメロディの、その歌詞の美しさが、瞬時に私を非日常へと誘った。

童謡「花」 作曲:滝廉太郎 作詞:武島羽衣                                  
春のうららの墨田川 のぼりくだりの船人が               櫂のしずくも 花と散る  流れをなにに たとふべき

この短い情報量だけで、情景が、ゆるやかに流れる時の流れが、目の前に浮かんでくる。

春のうららかな日差しの中で、キラキラとした櫂のしずく。それが、花と散るなんて、その一場面だけ切り取ってもまるでスローモーションのようだ。

学生時代に教えられ、何気なく歌い、幾度となく耳にしていたこの歌にこんなにも惹きつけられるのは、私の経験値が上がったからかもしれない。

例えば「櫂のしずく」

おそらく学生時代の私はなんとなくの想像しか出来なかっただろう。いや、想像もせず、文字の羅列として捉えていたかもしれない。しかし、その後、現実に、あるいは映画で、ドラマで、似たような光景をみて、何かしら心が動かされたのか、動かされなかったのか…それが自分の中に残っていたのだろう。その何かしらの記憶とこのメロディにのせられた歌詞が結びついて、突如私の前に立体的なスローモーションとしてあらわれたのだ。

そう考えると、改めて、歳を重ねるのも悪くないなと思う。

さらに時代を遡って、この歌詞は「源氏物語」(胡蝶の巻)で詠まれた紫式部の和歌がもとになっている。

春の日の うららにさして 行く船は 棹のしづくも 花ぞちりける

教科書の中ではなく、実際、今、こんな歌を詠う人がいたらどう思うだろうか。

2番の歌詞、3番の歌詞についてもまた思いを馳せていきたい。

少ない情報量の中に無限に想像力を働かせられる、こんなゆったりとした時間が、今はとてつもなく心地いい。




 






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