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にこやかに、おだやかに

今日、髪を切りに行きました。

行くたびに、毎回のように、この私が(笑)、喋るネタに困らないほどずーっと喋っているんです。

あ、そうそう、ここの美容室に行くようになったきっかけも、note初期のころのある出来事がキッカケで。苦いほうのキッカケね😅
「ひーさんのココロさんはショートカットにしたいと思ってるよ」って言われたんです😆
それで、今まで、ロングを得意とする美容師のところに通っていたのをやめて、家の近所でショートカットを得意とする美容室を探したんです。
それで通い始めたんですけれど。

美容師さんて、カットのプロでもあるとは重々承知の上で、接客、特にトークのプロだと思うんですね。
仕事で喋ってますって感じを微塵も感じさせず、これまでの美容室でひたすら無言でいた私を、もう止まらない!ってくらいに喋らせてくれる今の美容師との出会い。

これに関しては、キッカケがなんであれ、感謝感謝です。

で、本題はここからで(笑)。

近年、多様性って耳にタコできるほど言われるじゃないですか。
他人の意見を尊重しましょう。とか。
違う意見も認めましょう。とか。

私、ちょっと思うんですけど「あなたの意見は尊重します。でもね…」の「でもね…」みたいな部分とか、言葉では「そういう考え方もあるんですね」と理解を示してはいても内心は反発してるんだなっていう空気感😅

全然、なんにも、いい方に向かっているとは到底思えないんですよね。
とりわけこのSNSですよ。そういう感覚に陥って、心ケバケバしてしまうのは。

今日、担当美容師さんと話していて、多分年齢はほぼ同世代で、いろんな青春時代の共通あるあるを経て、今の年齢になって思う若い人への気持ちだとか、共感することも山ほどあるんですけど、お互いに、全然理解できない習慣があるんです。

だけど、その習慣に対して、お互いに「へぇ、そうやって見てるんですね!」「そんなこと思ったことない」「尊敬する」「真似できない」「通じ合えない」みたいな会話が出るんですけど、その通じ合えないことに終始お互いが爆笑してるんですよね。
これこれ! って。
SNSっていう文字の世界では、この「違いを受け入れて笑える」ってところが伝わりづらいじゃないですか。
ちょっと言えばすぐ「上から言われた」とか「反対意見はいりません」とか🙄

思えば、私の周り(リアル社会ね)には、他人と自分との意見が違うことを「面白い」と捉える人が沢山いたなって思います。
それは、ごく些細なことであっても。
例えば、別の家庭で生まれ育ったカップルが初めて同棲するときに、物の使い方が違うとかでイライラして喧嘩する人もいると思うんです。
私が昔そうでして。
お風呂上がりにバスタオルを使うか小さいタオルを使うか問題で(笑)
この話を、後輩(男)にしたところ「僕の家は彼氏さんの使い方ですけど、ひーさんの使い方を知ったところで、イライラするより『へぇ! そうなんだ!』面白いなーって、その違いが楽しいっすけど」と言われて目から鱗というか、こいつが彼氏だったら楽しい生活だったろうに! みたいな感覚になったことを今日思い出してました😌

noteも、なーんか目を離してるうちにケバケバしてるんですよね。

だから目を離してたっていうのもあながち言い過ぎではないんですけど。


考え方の違いを「面白いな」っていう方向性で交流に繋げてはみませんか?


逆転の発想をするなら、そうね、考え方の違いを面白いと思えない相手をフォローしてて面白いですか? ってこと。
どうして、こういうときだけ、実社会みたいな社交辞令精神を働かせちゃうんだろか?
SNSこそでしょう? 
合わなくなったら付き合いをやめたらいいのよね。
因みに、それをいちいち報告する人も私は好かないけどね。

こんな、考えを持つ「わたし」いかがです?
ふふ😉

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ひーさん🌙✨
ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!