援護射撃という罪
仲間がいじめられていたら助けに行く。
人として、当たり前のことだと思う。
だけど、これに関して私なりにちょっと違うよね? と、思ったこと、援護射撃のやり方、判断を誤れば、いじめられていた人をいじめる側に回してしまう可能性があるんだってこと、少し書いておきたいと思う。
Aちゃんの真意は分からない。
もしかしたら、私がAちゃんの発言を見たのち、Aちゃんに賛同してBちゃんに異論をぶつけたと思ったのかもしれない。
「ほらみろ、ひーさんだってそう言ってるぞ!」
この構図は、私としては誠に遺憾。😮💨
正論というのは一対一でぶつけるものだと思うから。
Bちゃんに対するAちゃんの気持ちと私の気持ちがたまたま一致しただけであり、それを増幅させ、さらにBちゃんを攻撃していい理由にはならない。
これは、Aちゃんに対する批判でも、Bちゃんに対する擁護でもない。
あくまでも、私個人がどう思ったかを伝えたまで。
可哀想な人の味方になるという観点から意見を合わせ寄り添うのではないよ、私はね。
そこは、間違えちゃいけないよ。
優しさって厳しさでもあると思う。
もしキミが、この話の意味が理解できなくて私を嫌いになっても、私はキミを見捨てない。
私は自分のこの、ここまでの発言全てに自信があるからね。
うーん、イジメはいじめる側が悪い。
いじめられる側は100%被害者なんです。
だけど、求める助けを間違えると、いじめる側に転じてしまう。
「いじめられてます、可哀想なんです」の世界に閉じ込められて、大切なこと見落とさないように。
同調して、反撃してくれる人を探す、その人を隠れ蓑にする、新たなイジメを生み出すような反撃の仕方でよいのかな?
イジメにあってる人の救い方を間違えないようにしないと、本当の意味でイジメ撲滅なんて出来ない。と、私は思う。
人はひとりだよ。
孤独という意味じゃなく。
乗り越えるのは自分の力。
たくさんアドバイスをもらって、自分でそのアドバイスを咀嚼吸収して、自分で乗り越えること。
他責にしないこと。
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