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未然に防ごう〜循環の乱れは心の乱れ

皆さんには、note内外に問わず「この人の思想、考え方、言葉を生きる糧にしてます」というクリエイターさんがいますか?

「生きる糧」とまで言うと大袈裟な感じもしますけど。

「いるよ」という回答、大いに結構と思います。

私にもいます😌

だけど、気を付けないと、いつのまにか自分が「くれくれお化け」に姿を変えてしまいかねない危うさを秘めてますからね!

発信者もAIなどのbotでない限り、生身の人間です。
どんなに明るく優しく前向きで太陽のような人でも、日常を人として送っていて、仕事が忙しいかもしれないし、大病を患っているかもしれないし、飢えを凌いでいるかもしれないのです。
なかなかそこまで追い詰められている人が、SNSの中で太陽のような人いないかもしれないけれど。
そこまで想定して利用したいのがSNSだなって思います。
最近このように思うに至ったシチュエーションに、度々でくわします。

クリエイターに対する応援から「次の記事待ってます!」と言うのと、

「自分自身の心を保つ支えにしてるから、あなたの記事がないと私、死んじゃいます」くらいの意味合いでの「次の記事待ってます」
「書いたら真っ先に教えてください!」

全然意味合いが違うこと、ご理解いただけますでしょうか?

……死なれたら困るけど🤣

いや、真面目に、困るとは言っても「記事を出してくれなかった」「コメントに返事してくれなかった」で、仮に死んでしまった人がいても、それって書かなかったクリエイターの責任だろうか?

凄くデリケートなワードを使って、めちゃくちゃに、極論で話しています。

でも、そう思いませんか?

せっかくね、素敵なクリエイターに巡り合って、素敵な考え方を画面を通じて教えてもらって、とっても前向きな人生を進み始めて。
ここまでは凄くいい循環だったのに。

「アナタの記事が最近読めなくて、私、辛くて寂しくて、どうしてくれるんですか」

これはもう循環の乱れ以外の何ものでもないですね。


SNS内のクリエイターも、画面の向こうでは人間。

それを、忘れてはいけないです。

「あなたの記事がないと、私、どうにかなりそう」
そこまで思うなら、過去の記事、何度でも読んだら良いじゃないの。
その記事たちを励みに今まで生きてこられたんでしょう?

クリエイターも人間。ならば、クリエイターだっていつ死ぬか分からない。
メンターにしてたクリエイターが死んだらアナタも死ぬの?
それって違うじゃん。
メンターは、いつでもアナタの心に住まわすことができるのです。

人はまず自分のために生きている。
誰かに生かされている人間はいないです。

誰かの言葉はあくまでもヒント。
ヒントを元に自分で様々なことを選択して生きている。
そう。単なるヒントくらいの意識で人の意見は聞いた方が良いと思います。
ガッツリ真に受けるから、傾倒しすぎたり、逆に「それって間違ってる!」と全否定したりと円滑な交流から逸脱するんじゃないかなって思うのです。

誰かに選んでもらったり、誰かに言ってもらったままに行動したり……
それではいつまでも自立はできないから。

ヒントはヒント。
それを、どう生かして自分のものにして、自分で地に足をつけて歩んでいくのか。
「気をつけてね」って掛ける言葉の意味、最近思うのは、自分自身にしっかり「気持ち」入れてね、取り付けてねってことなんだと思うんです。

くれくれお化けほど怖いお化けはこの世にいないです。
しっかり、気をつけて、前見て、歩きましょうね♪



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ひーさん🌙✨
ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!