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非日常が日常なインドでの話③

前回までのお話ではようやくリシケシに着きました。

ですがその前に私がなぜ、インドへ行きを決めたのかお伝えしていなかったですね。

簡単にお伝えしておこうと思います。

1番の目的はヨガでした。

そしてヨガを始める気かっけは、スノーボードで腰を圧迫骨折して、気持ちが落ちることが多くなったのです。


そんな落ち込み後に彼氏に振られて、母に助けを求めたところ「自分が全部わるかったんでしょ。どうせ」とバッサリ切られてしまいました。

とんでもなく自己否定に陥り、自分を言葉で傷つけていました。当時、自分の体からずれて乗っている感覚がしていて、そうして拭い去れない苦しみをいつも心に感じていました。

病院で診察を受けないまでも、程度はどうあれうつだったと思います。

誰にも相談できずしばらく、うつ状態が抜け出せずアロマセラピーをやったりヨガをやったり、また仕事でタイマッサージを始めたりと、どうにか良くしたいと必死でした。

毎朝のヨガや仕事場のタイマッサージの学びをきっかけに少しづつですが自分を取り戻しはじめていました。

そんな気持ちが上向きの時に本場のヨガが単純に体験したくなって、まずタイで、タイマッサージの資格とって、その後インドでヨガと瞑想、アーユルベーダの勉強しようということで、誕生日にインド行きを決めたとのでした。

そんなんでインドに呼ばれてしまったのですが、当時はどうにか状況を変えたかった。もしかしたら、現実を見れなかったのかもしれません、本当は・・・。


とはいえ誕生日の6月9日に自分の誕生日プレゼントです。

2007年6月9日から女子でタイ1ヶ月、インド1年の旅に行くことになったのでした。

そしてインドの旅を1年して帰国する2ヶ月前にインド人の彼氏ができました。その彼と日本食レストランを私はボランティアですが、一緒に経営することに、思っても見なかった展開となったのでした。

色んな意味で呼ばれていたということを今、噛みしめています。その辺の詳しい話が聞き方は拙著『自分を愛する旅に出よう』の第二章をお読みいただけると詳しく書いております。

そして、そうでした。前回はようやくリシケシについたという話しでしたよね。

私はヨガ目的で一目散にリシケシに行ったのをお伝えしましたが、実は私が到着した時期というのはヨガの聖地リシケシで唯一、ヨガの先生たちがお休みの期間だったのでした。

ただ有名な先生はいなかったのですが、当時、無名なまだ駆け出しのような先生はウジャウジャいたのです、ですので別段、大きな問題でもなかったですが、当時はインターネットがあっても、そこまで情報が多くありませんでした。

スマホすらないアナログな女子一人旅を、当時の私によくやったねと本当に褒めてあげたいです。

そして、主要なヨガの先生達がいないせいで、リシケシへ来て欧米人すら見かけませんでした。一人アウェーでインド人にしか合わなくて数日、かなり不安になっていました。

きっと、ここで消されても誰にも気づかれないんだなぁとか。頭をよぎっていたのです。今なら一人でインド人に紛れても同化しているくらいなのに、当時は非日常が日常のインドに心細くなっていました。

その非日常が日常ではオートリクシャに乗れば値段交渉、ぼったくるは当たり前。

お店に歯磨き粉を買いに行けば、商品、お金は投げてくる、愛想笑いすら無い。

毎日、停電が数時間ある。

お水も止まる。

これらが日常に好き好んで迷い込んだわけです。

ですが持ち前のすぐ馴染む&インドへはなんだか帰って来た感じから非日常が私の日常に変わるのも実は時間がかかりませんでした。

そう非日常な日常を楽しみはじめていたのです。

とはいえ非日常な日常の一部でつわものだったのを順位形式でお伝えすると…

第5位 仕切りのないパブリックトイレ
(インドでも数は少ないです。ですが中へ入ると尋常ではない光景に度肝を抜かれました。数秒固まるも、もちろん撤退、ムリーでした。)


第4位 ガンジス川の対岸にあるジャングルにいた求婚中の野生のクジャク
綺麗に尽きます。&空港へのハイウェイの看板に止まっていたクジャク。インドは国の鳥が孔雀です。野生の孔雀が見れて幸せでした。


第3位 ガンジス川を流れる牛のしかばね


牛の屍はこれには写っていません。

第2位 ゲストハウスにいたサソリ
しばらくいろんなドキドキが止まらなかった

蠍の意味は破壊と再生、この旅から私の人生の変容が根本から促されました。

第1位 ガンジス川を流れるシカバネ
バラナシの朝焼けが綺麗に見れるボートツアー中に、ボートにぶつかってきたのです。男性でした。

こちらにも人間の屍は写っていません。

インドの想定外ってやつは、はんぱね〜って、当時の私はインドに度肝を抜かれっぱなしでした。

ちなみにインドの旅人の間で有名なインドの歌があって、フルパワー、ノートイレット、ノーシャワー、24hoursっていう曲です。インド旅を表す面白い曲で当時、流行っていたのでした。

リシケシはベジの街です。

インドのベジバーガー屋台

私のマクドナルドでした。

美味しいんですよ!

最初にいたゲストハウスからのビューです。

雨季につき増水で水が濁っています

この頃、雨期に入っていたので水かさは増して濁流です。乾季の水は綺麗です。流れも早くて泳ぐと本当に流されて帰れなくなります。本当です。

さあ、主要なヨガの先生がいないリシケシでしたが、幸い街に有名なスワミジ(お坊さん)が先生のヨガセンターがあると情報が入ってきました。

ゲストハウスにいるのがしんどくなった私はちょうどよく、そのヨガセンター近くのゲストハウスに住み直すのでした。

ガンガビュー最高でした!みてても全然飽きないけど勉強が進まなかったですw

そしてヨガの先生はルドラジー(ジーとは氏とか「さん」の意味で尊敬語です)はブラフマチャリアと言って生涯、伴侶を持たないそうです。

伴侶を持たないし、使わない性のエネルギーは、自分のエネルギーに変化されてなんちゃらっていってた。・・・・忘れたw。

まあ、修行の一貫ですw。

そしてスワミジの師匠はBKSアイアンガー氏です。そのスワミジに3ヶ月間、ほぼ毎日、アイアンガーヨガ通称メディカルヨガを教えてもらいました。

↑↑こんなんしてます(ヨガスタディーセンター)

そんなこんなでリシケシの街に住むことになりました。3ヶ月、毎日ここでヨガを学んだのですが、リシケシの町って観光地ではないので美味しいレストラン少ないんです。

宿には幸い共同キッチンがあったので自炊ができてよかったのですが、インドはじめてということもあり、洗礼なのか、この3ヶ月、ほぼほぼ、お腹の調子が悪かったのでした・・・。

そうそう、思い出したリシケシという街は労働者の街なので外のきったない食堂でご飯食べると味めっちゃ濃い、オイリーなカレーしか出てきません・・・。

ただそんなのでインド滞在前半は、ずーっとお腹の調子が優れないのもインドあるあるなんですが、日本人の旅行客は大概、入院レベルでお腹を壊しているにも関わらず、これレベルだとまだまだ、大丈夫の範疇ということなのですw。

とはいえお腹痛い痛いの話もたくさんもっていますので、また今度します。

ということで本日も読んでいただきありがとうございました。

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